ここは今までに書いた自作小説を晒す、いわば本サイトのメインページです。まあ大したものはないですが。

 

現在晒しているのは、

 

《ドグマ・カルマ》(ホラー。初めて応募した作品。ホラ大で奇跡的に一次に残った長編)

《化鳥繚乱》(いちおう幻想文学のつもり。ファンノベの最終選考に残ったという奇跡)  

《神の死体》(幻想文学?の掌編。未応募) 

《マイトレーヤ》(哲学……小説?未完。気が向いたら追加の予定)

《ダイダラボッチ》 (伊豆文学賞の最終選考にて落選)

《夢匣(ゆめくしげ)》(その名の通り、夢日記。ぶっちゃけ漱石のパクリ。未応募)

《宮殿》(新潮新人賞で一次通過。なので一応純文学……と思います。短編)

《メテムプシケル》(ホラー長編。このミス大賞で一次落ち。ドグラマグラもの)

 

 

です。 こんなものでも読みたいという奇特な方は左のメニューから作品名をクリック。

 

 以下では晒した小説について解説をしています(そうでもしないとこのスペースが無駄になるし……)。

 

《ドグマ・カルマ》

 

 初めて書き上げた小説。とはいっても最初は150枚程度だった(原稿用紙換算)。この枚数でホラ大の長編部門の一次選考を通過したのはいま考えるとホント奇跡だと思う。ただ、その後かなり加筆して444枚になったので、書き上げたというのは違うかもしれない(加筆したのをメフィスト賞に送ったら上段だった。座談会で「これを書いたのはちょっとアレな奴だろう」と言われた。実を言うとちょっと嬉しかった)。

 タイトルでわかる通り、『ドグラ・マグラ』へのオマージュ。とはいえドグラ・マグラが好きで読み返している時にふと思いついたというだけで、内容は殆ど(ていうかまったく)関係がない。

 小説の中に作中作として、普通の本ではなく、ゲームブックを入れてみたら面白いんじゃないか。最初はそんなワンアイディアだった。それがこんな変なことになってしまったのは、どう考えても『ドグラ・マグラ』のせいだろう。『ドグラ・マグラ』を読んだ者は一度は精神に異常をきたすなどといわれるが、これを書いたときの自分が多分そんな状態だった。私のような好人物がこんなおかしなものを書いたのだから、絶対そうに決まっている。

 なんだかやたら悪乗りしてどんどん膨らんだ。正直いままで書いた中で、これほどさくさく筆が進み、しかも書くのが楽しかったものは他にない。あれは絶対に取り憑かれていたのであり、すなわち執筆当時に自分には責任能力がなかったので、この作品に関して筆者はなんら責任を負いません。 

 弟に読んでもらったところ、ラストが弱いといわれた。メフィスト(ミステリーメインの小説誌)の座談会でも似たような指摘があった。まあ、自分もそうかもしれないと思う。ちょっと直してもみたが、まだ弱いかなとも思う。 

 これを読んだ人はきっと、私の人格を疑うだろう。正気を疑われたこともあったけれど、私は元気です。

 

《化鳥繚乱》

 

 09年の日本ファンタジーノベル大賞(新潮社)で最終選考に残った記念すべき作品。初めて編集の人の電話をもらったとき、絶対何かの罠だと思ったのも懐かしい。

 作家志望になってから初めて成果らしきものが得られた作品で、いろいろと思い出深い。専門家の感想をもらったのも初めてだったし(ていうか今のところ唯一の経験)。今は亡き井上ひさし先生に褒めてもらったのが嬉しかった(ていうか全候補者を褒めてたけど)。しかも選評で内容を簡潔に要約してくれたので、あらすじを手っ取り早く知りたい人は新潮社のサイトにどうぞ(たしかまだ残っていたはず)。

 

『月小夜』について  

 

 この話は完全なオリジナルではなくて、作者の地元の民話を元ネタにしている。昔、静岡県の小夜の中山というところに巨大な怪鳥が現れて、人を襲った(作中では化鳥)。小夜の中山は当時東海道の要所だったので人々は困った。そこで朝廷から良正(作中では字を変えた。読みは同じ)という弓の名人が派遣されることになった。小夜の中山に着いた良正はそこで月小夜(つきさよ)という美しい娘に出会い、恋仲になる。良正は月小夜との逢瀬を楽しみながらも怪鳥探索を怠らず、持仏の観音に勅命を無事に果たせるようにといつも願を掛けていた。

 そんなある夜、良正はついに怪鳥を見つける。しかし怪鳥は闇夜にまぎれて姿が見えず、危機に陥る。そこで良正が持仏の観音菩薩に祈ると、不思議な光が走って空を照らした。怪鳥の姿を見つけた良正は、見事にこれを仕留めた。

 元の民話は大体上のような話。けど実は、これは地元でもあまり知る人のいないマイナーな民話だったりする。というのも小夜の中山は民話が多く残っている場所で、特に江戸時代にできた夜泣き石の話が有名になってからは他の民話が霞んでしまったということらしい。じっさい静岡出身の筆者も小夜の中山といえば夜泣き石、そして子育て飴くらいしか知らなかった。

 そんな筆者がこの怪鳥の話を知ったのは、日本各地の民話を漁っていた時。泉鏡花の魅力を再発見して、自分も幻想文学的なものを書きたいと思って小説のネタを探していた頃だった。自分も知っている地元の山に、その昔怪鳥がいたという話にまず興味を惹かれ、さらにそれが恋物語だという点に目を付けた。

 なにより、ヒロインである美しい娘、月小夜。その名前に魅力を感じた。月小夜(つきさよ)という名は普通にありそうで、実はなかなかない。と思う(少なくとも筆者は他に知らない)。小夜(サヨ、或いはサヤ)という名前は普通にあるし、月夜(つきよ)はちょっと凝った名前を付けようと思えばすぐに思いつくだろう(しかもちょっとイタイ)。しかし月小夜となると、そうは思いつかない。だれでも考えそうで、その実考え付かない、盲点のような絶妙な名前。しかも単に珍しいというだけでなく日本的な感じの、奥ゆかしい、美しい響きをもっている。

 というわけで俄然やる気になった。この民話が、そしてなにより月小夜という魅力的なヒロインが、こうして埋もれているのはあまりに勿体ないと思い、これを小説に仕立てようとおもった。そこには郷土愛的なものもあったかもしれない。

 けれど、もともとはただの民話である。それだけでは短すぎる。しかも月小夜というヒロインは名前こそ魅力的なものの、実のところ怪鳥退治にはまったく関わってこない、言ってしまえば単なる飾りで、添え物のような扱い。民話ならそれでロマンスになるかもしれないが、小説としてはあまりに弱い(ちなみに元の民話にも色々なバージョンがあり、前日譚と後日譚も存在する。そちらでは月小夜も活躍したり、怪鳥の正体はじつは月小夜の母親だったという話もある。興味のある人は小夜の中山のサイトに載っています)。

 そこで色々と話を加えた。さらには化鳥の正体が実は月小夜だったのだ、という風に話をいじり、直接物語に絡めることにした。自分ではナイス判断だと思ったのだが、後になって考えてみると妖怪退治の話としては、結局よくあるパターンになってしまったという思いもある。でも、まあそれはそれでいいんじゃないかと。 

『小石姫』について

 

 『月小夜』を一度書き上げた時点でホラ大の短編部門に送った。したら一次落ちだった。落胆し、封印しようかとも思ったが、書き直してファンタジーノベル大賞に送ろうと思い直した。しかしそのままでは短すぎるので加筆しないといけない。

 そこで思いついたのがこの第二章、小石姫の話。能柾と月小夜の娘である。

 この小石姫という人物自体も筆者のオリジナルではなく、元々の民話の後日譚として小石姫の話があり、そこから拝借した。こちらの民話も幾つかパターンがあるが、基本は小夜の中山で暮らす小石姫が成長した頃、京の都にいる父親(良正)から縁談の話が持ち込まれる。だが小石姫には好きな男がいる。悩んだ末、小石姫は首を括ってしまう……というもの。別のパターンとしては、既に子供を身籠っていたというものもあり、それが後世の子泣き石の話しなんかにつながるらしい。

 これも元の民話から少し筋を変えたのだが、それが良かったのか悪かったのか。

『古月記』については、そっちの方に書いてあります。

『神の死体』について

 

 もし万が一『ドグマ・カルマ』を読んでくださった方ならわかると思うが、これはドグマ・カルマの中に出てくる挿話だったりする。ちょっと段落を改めたりしているが、ほとんど全く同じもの。それをどうしてあえて別に載せたかというと、ドグマ・カルマを読んでくれている人がいないんじゃないかと心配になったから。

 このイメージの元になったのは、「桜の木の下には死体が埋まっている」という例の有名なやつです(安吾の『櫻の森の満開の下』が元ネタ?)。これを最初に聞いた頃は(もはやいつのことか思い出せない)単なるホラーのネタぐらいにしか思わなかったけど、よく考えたら凄い耽美的なイメージだなと遅まきながら思った次第。

 根元に人間の死体が埋まっているから――その養分を吸い取っているから――桜の花はあんなにも美しい。妖艶な桜のイメージにピッタリだと思います。まあイメージは人によって様々だろうけど、個人的にはいくら明るい春の陽の下でも、いくら枝の下でオヤジたちが酒盛りしていたとしても、やっぱり桜の花にはどこかしら、陰があると思うので。だから桜の下には……の話は、近来稀に見る大発明だと思うのですよ。

  で、ふと連想したのが、夜空に浮かぶ月のこと。私は桜と同じく月もこよなく愛する日本人なので、じゃあ月はどうなんだと考えたわけです。桜の下に死体が埋まっている。なら、月には何が――?と。桜はもちろん美しいし、春にしか見られないわけだけど、沢山ある。それになんと言っても地上のもの。それに大して月は年中見られるとはいえ(新月を除く)唯一無二のものだし、天の上のもの。そう考えると、人間の死体よりもよっぽどとんでもないものが埋まっているに違いない。そうやって考えていて、ふと思いついたのが「神様の死体」というものでした。

 月の下には、神の死体が埋まっている――。自分で思いついておいてアレですが、けっこう気に入りました。それでこのイメージを生かした小説を書こうと思って、あれこれ考えてはみたものの、長編のアイデアが浮かばない。明治か大正辺りで、金貸しの男が清廉な修道女にこの涜神の言葉を無理やり言わせるみたいな話を考えたのだけど、どうにもうまくまとまらない。てか微妙。

 で、結局できたのはこの掌編だけ。ちょっと寂しいですが、でもこの「月の下には――」のイメージは『古月記』のツクヨミノ命の話に生かせたので、まあいいかと思っています。

 

『マイトレーヤ』について

 

 日記に書いた、ツァラトゥストラもどきのやつ。これは厳密に言えば小説ではない(つもりな)のだけど、しょせん誰も気にしないだろうしまあいいじゃんということで。これについては完成を待たず、ちっとずつ増やしていこうかと思っています(あまり進まないと思うけど)。

 ちなみに主人公は弥勒菩薩ということになっていますが、筆者には極めて初歩的な仏教知識しかありません。なので作中の台詞は全部聞きかじりか、筆者の勝手な思い付きです。 突っ込みは勘弁してください。 

『ダイダラボッチ』について

 

 伊豆文学賞の最終選考に残った作品。読み返してみると、けっこう誤字脱字があったり文章が微妙だったりで、直そうかと思ったけどそのまま載せました。時間がなかったの丸わかり。……いや、だから落ちたという言い訳ではなく。

 内容を一言で言っちゃうと、富士山の起源神話。一時期富士山のことをけっこう調べていて、富士山の出てくる民話はけっこうあるけど、その起源が描かれている話はあんまりないなと不思議に思ったわけです。日本のシンボルのような山なのに。

 勿論全くないというわけではなく、ダイダラボッチが作ったという話はあったけど、なんだか物足りない。せっかく日本一の山なんだからもっとドラマがあってもいいんじゃないかと勝手に考えていたら、こんな話になりました。特に元ネタとかはないですが、ダイダラボッチが会いに行く日本各地の霊山は、風土記を元にしています。

 まあこういう内容なので、実は日本神話を基にした『古月記』と同じ系統、というかそっちに入れてしまっていいものだったりします。そのうち一つにまとめるつもりです。「はしがき」もそっちで使えるし。まあ、少し手直しが必要ですが。

 

 「はしがき」の設定では語り手が老人になっていますが、これには私の母方の祖父のイメージが入っています。といっても参考にしたのは戦時中の話くらいで、ほとんどは自分が勝手に作ったイメージ……のはずだったのですが。その祖父が今年早々に他界してしまい、その通夜や葬儀の時なんかに聞いた生前の話がこの「はしがき」の設定と奇妙に微妙に重なっていたのです。執筆中には知らなかった話なので驚きました。

 この作品が伊豆文学賞の、最優秀とは言わなくとも何かに引っかかっていればいい報告ができたのにな……と思うと、やっぱり残念です。

 

 

 《夢匣(ゆめくしげ)》について

  *このタイトルは、澁澤龍彦氏が『夢について』というエッセイで紹介されている、万葉集の笠郎女の短歌から。

 

 これを書いた理由は序文にも書きましたが、昔の日記に夢の記述がけっこう多かったからです。昔から夢に興味はあって、わりと内容も覚えている方ですが、まさかここまでとは。

 以外だったのは、印象的な夢はけっこう覚えていると思っていたのに、案外忘れてしまっていたものが多いこと。日記に書いていなければ、そしてそれを読み返さなかったら、きっとずっと忘れたままだった筈の夢達。我ながら薄情なものです。それで、まあ罪滅ぼしも兼ねて書いてみようかと。漱石の『夢十夜』好きですし。

 とはいえ、参考にするために『夢十夜』を再読して改めて思ったのは、この作品で描かれている「夢」の物凄さ。普通の夢というのは大抵ストーリーが滅茶苦茶だというのに、漱石のそれは作品にするに充分なストーリー性がありますし、その分量といい、不気味さといい、そしてなによりイメージの豊かさといい、凄すぎます。ちょっと盛ってるんじゃないかと思うくらい。

 まあ別に日本を代表する大文豪に対抗する気なんてさらさらなく、自分なりにやればいいわけですが。でもやっぱり、文章に起こす以上はある程度まとまっていた方がいいのはたしか。そんなわけで、ここで紹介する私の夢は、実際に見たものをかなり脚色してあります。なのでこれを以って私の精神分析はしないでください……いや、そんな奇特な人はいないでしょうが、念のため。 特にフロイト流の解釈は、ね……。私は断然ユング派ですし。

 たとえば、第一夜に「今年の五月か八月に私は死ぬのだろう」的なことを書きましたが、これは本気で言っているわけじゃないです(こういう夢をみたのはホントですが)。夢占いの本なんかを見ると、死ぬ夢というのはむしろ吉夢の場合が多いみたいです。生まれ変わる的な意味で、人生の転機とか。まあ、そんなことはありそうにないですけどね(笑)。 


 「第六夜」について。この夢は十年位前に見たもので、実はほとんど記憶にないです。当時の日記にも一言二言しか書いてないのですが、でも掌編の設定としては面白いのではと思って書いてみました。なので殆ど創作です。そのわりにあまり活かせてないですが。

 直接関係はないのですが、書いててふと子供の頃のことを思い出しました。小学校の低学年の頃か、せいぜい三年生位のこと。誰か(親か学校の先生と思いますが)が私に、「人は死んでもまた生まれ変わるんだよ」と教えてくれたのです。その当時私の周りで死んだ人などいなかった筈なので、どんな経緯でそんな話になったのか不明ですが。とにかくその人は子供相手に、「死んじゃっても悲しまないでいいんだよ」的なことを言いたかったのでしょう。

 しかしそんな話を聞かされた当時の私の感想は「イヤだなあ……」という、なんとも張り合いのないものでした。つまり「せっかく死んで気楽になったのに、また生まれてこなければならないなんて面倒臭い」と思ったのです(むろん、口には出さなかったのですが)。

 まったくもって不思議なのは、当時の私はいたって素直で真面目な良い子で(いや本当に)、家でも学校でも特に問題なんてなかった筈なのですよ。それなのになんでこんな厭世的な感想を持ったのか、我ながら皆目わからないのです。……まあ、問題なんてなくても学校は嫌いでしたけど。

 そんなわけで(?)、私は子供の扱いが苦手です。無邪気に見えて奴ら、裏で何を考えてるかわかったもんじゃないですからね。

《宮殿》について

 

 新潮新人賞におうぼして一次通過だったもの。締め切りが3月末なのに思いついたのが3月下旬で、殆ど読み返すこともできずに書き上げました。ちらっと読み直してみると、ちょっと(かなり?)説明がくどい気がしたけれど、まあそのまま載せました。今まで応募したのは殆ど一次落ちだったので、一次選考を通ったのはかなりの快挙です。

 思いついたきっかけは夢。夢に、真っ暗な空間にそびえたつ塔を見たのですよ。別にストーリーはなく単なる場面だけの夢だったのですが、起きてそれを思い出しているうちに、この小説の設定が浮かんだわけです。

 夢が好きなので、それがきっかけでできたこの小説にも思い入れがあり、手直しもしたいですが。ちょっと今はそんな気力も湧きませんね。

《メテムプシケル》について

 

 このミステリーがすごい大賞に応募して、一次落ちだった作品。一次くらいは……と期待していたのですが。

 タイトルは「輪廻」という意味です。いや、輪廻なら本当は「メテムプシコーシス」じゃないとおかしいのですが、ちょっと冗長な気がして変えてみました。時代設定が戦前なので、この方が昔の単語っぽいかなとも思い。

 これは以前に書いた『ドグマ・カルマ』と同じく、夢野久作『ドグラ・マグラ』のオマージュで、所々にその要素があります。……ていうか、作中にドグラマグラ出てきちゃうんですけどね(笑)。主人公の名前も夢野Q作ですし。これは悪ふざけが過ぎましたが。

 ドグラマグラは、大雑把に言うと心理遺伝(だけではないですが)を証明するために二人の怪博士が暗躍する、というのが物語の根幹にありました。そこでこちらでは、「輪廻転生」を解明するため、というのを軸に据えました。生まれ変わりなんぞという捉えどころのない、なんともうさんくさい眉唾な現象を解明するために、大学の地下で日夜行われる奇奇怪怪な実験……というコンセプト。奇怪な転生体験者の不気味な語り、そしておどろおどろしい実験の数々、……それによって明かされていく、「輪廻の法則」。その辺を書き込めば面白くなるかと思ったわけです。特に「輪廻の法則」については虚実を織り混ぜつつ、奇妙な、それでいて不思議と「それくらいならあるかも……」と思わず納得してしまいそうな神秘的な法則をいかにもっともらしくでっちあげるか、が肝だったのです。まあ時間の都合上そこまで行かず、とってつけたような終わりになってしまったのですが。

 そんなわけで、落選も決まったので書き直し(てか書き足し)して、ホラー小説大賞にでも送ろうかと思ったのですが、調べてみると過去の受賞作のテーマとかぶってたんですよね……。まあ問題ないレベルだと思うのですが、真似したと思われるのもヤですし、やめました。

 うーんちゃんと完成させたいけど……まあ、去年の時点では着手するつもりすらなかったわけですし。不運だったということで、暫らく寝かせておきます。