6  人間の真実について②・人間には実体がない 

 

 マイトレーヤの厳しい言葉に人々は怯み、口を噤む他なかった。しかし中には比較的に大胆な者がいて、マイトレーヤに向かって口を開いた。 

 「貴方のご指摘はごもっともで、我々は反省するしかありません。しかし、言い訳になってしまいますが、僕たちは貴方が人間について何を既に知っていて、何については知らないのか、またどんなことを知りたいのか、それがさっぱりわからないのです。弥勒菩薩様、一体貴方は人間というものをどのようなものとして考えていらっしゃるのですか?ここは一つ、貴方のお考えを聞かせて頂きたいのですが」 

 「その要求はもっともだ。若者よ、私は君の問いに答えよう。私が人間とはどんなものと考えているのか、それを話そう。 

 人々よ。人間というのは実に弱く、儚い生き物であり、不十分で不完全な生物である。 

 まず、君達の寿命はとても短い。もちろん地球上の他の生物と比べるならば、比較的に長命と言うことも可能ではあるが、それにしてもやはり短い。君たちは長生きしたところでせいぜい百年とちょっとしか生きられないし、しかもそのような短い寿命すら全うできずに死ぬことも多い。 

 人間よ。君たちはまた、ちょっとしたことでもすぐに死んでしまう生き物である。君たちは毎日のように栄養を摂取しなければならず、その供給を止めれば健康を害し、すぐに死んでしまう。水を飲まなければもっと早く死んでしまう。さらに言うなら、空気がなければすぐにでも死ぬ。それは、たったの数分にも満たないのだ。

 人間よ。君たちは、空を飛ぶことができない。また、水中で呼吸ができない。君たちは高い塔の上から飛び降りる事ができない。また、たったの十分でも全力で走り続けることができない。殴られれば容易に気を失い、刃物で刺されれば死んでしまう。

 人間よ。君たちは暑さに弱い。君たちは寒さに弱い。君たちは野の草や木の葉を栄養に変えることができない。君たちは毒物を無害にすることができない。

 また、君たちは首を落とされれば死んでしまう。君たちは酒を呑むと正気を失う。君たちはあまりに凄惨な出来事に出会うと狂気に陥る。君達の精神は強固ではない。

 君達の肉体は老いる。君たちは様々な病を得る。

 そして人間よ。君たちは誰であっても、決して死を免れない。どのような善人も、どのような優れた者も、歴史に名を残す英雄も、天使の如き聖人も、王者も愚者も罪人も、全てがことごとく死に絶える。勿論、凡人もまた、当然のように死ぬ。

 人々よ。君たち人間という生物はこんなにも弱点だらけで、その肉体はこれほどまでに脆い。まったく、君たちがこの場にそのように平然として立っているのが不思議で仕方ないほどに、君たちは儚い。君たちが生存するにはこうした細々とした条件があるので、いつ生と死が逆転したところで全く不思議ではない。私からすれば君たちには「死」こそが常態であり、そのようにして生きている時間の方が例外にすら思える。いや、端的に言って私は、そんな君たちが「生きている」などと表現してよいか、迷いを覚える。君たちは自分達が存在すると思っているが、そのような生物には「存在」という言葉は相応しくないと私は思う」

 人々の気分は滅入り、その顔は心なしか曇っていた。マイトレーヤはそれに気付いたが、構うことなく言葉を続けた。

 「そのように、あたかも奇跡のように全ての条件を整えたとして、さらに苦労を重ねてその肉体を健康に保ったところで、君たちは百年かそこらしか生きることはできない。では、このように人間に許された百年という時間ははたして、長いと言えるだろうか?そんなことは勿論不可能だ。何故なら時の流れにおいて、百年などという年月はまさに瞬きほどの瞬間でしかないからだ。

 では、個々の人間ではなく、人間という種族の歴史としてならどうだろう?君たち人類は地上に誕生し、地を駆けて獣を狩り、森を切り開き、大地をならして街を築き、文明を築き、文化を発達させてきた。

 しかしそのような人類の歴史を紐解いても、今の君達の文明の起源などというものは、精々一万年程度しか遡ることができない。君たちが仰々しくも、人類の歴史だの伝統だのと祀り上げるものでさえ、地球という惑星の寿命に比べれば人間個人の歴史と、大して変わりはないのだ。古代文明の遺産とか、先史時代の遺跡などといって有難がっているものでさえ、地質学的にはそうそう古いものとはいえない。

 人間が文明を築き始めたのは、精々が一万年の昔。生物学的な現生人類の歴史はおよそ二十五万年前。それに対して、かつて恐竜と呼ばれる大型の爬虫類が滅んだ大絶滅期は、およそ6500万年前。たったこれだけでも、人間という生物の歴史が如何に浅いものかわかるであろう。

 こんなことはむろん、私が改めて指摘するようなことではない。このような知識は、現代に生きる君たちにとっては常識と言えるものだからだ。しかし私の見たところ、このような明白な事実を意識している人間は、そう多くはないように見える。

 人々よ。地球という惑星全体から、あるいは宇宙的時間の流れから見た君たちは、このようにまったくちっぽけなものである。それを思えば、君たちはもっと絶望してもよさそうなものなのに、君たちがそうならないのは実に不思議だ。それは時間的尺度のみでなく、空間的な尺度においてもそうなのだ。

 君たちにとって世界そのものにも等しいこの地球、この惑星が実は太陽系の惑星の一つでしかないことは、誰もが知っている。そして実は、その太陽系もまた一つの銀河系にとってのほんの一部分にしか過ぎず、またこの地球の人間にとって万物の根源であり、神にも等しい太陽もまた、銀河系の全体から見ればありふれた一つの恒星に過ぎない。そして銀河系もまた、この宇宙全体から見ればほんのちっぽけな一部を占めるに過ぎないのだ。

このこともまた、君たちには既に自明である。

 つまり私がいいたいのはこういうことだ。このように時間的にも空間的にも、あらゆる意味で取るに足らないほどに小さい、君たち人間が、一体何を考えてそのあまり意味もない人生を送っているかということだ。君たちはほんの少しの環境の変化ですぐにも死んでしまう弱い生物であり、その短い一生で為せることとて本当に小さなことに過ぎないのに、どうしてこのように苦痛に満ちた人生を堪えているのか、私は聞きたい。

 君たちは一粒の塵のようなものだ……この宇宙にとっては。君たちがその短い生において得る物は少なく、そうしてやっと得ることのできた物とて、臨終においては手放すことになる。

 そのように苦しみばかりが多くて、報われるところの少ない人間としての生を、君たちはどう考えているのか。何を望み、何を信じ、何を喜び、何を悔い、何に憧れて、何に価値を見い出すのか。何に怒り、何を愛し、何を悲しむのか?

 私には本当にわからないのだ。外部から見ればまさに徒労にしか見えない人生を、君たちがどんな信念を持ち、展望を抱き、それだけの価値あるものと思い込むことができるのか。そのような人生を送る意義があると思えるのか……。

 人間よ。例えば私は、そんなことが知りたいのだ」

 マイトレーヤがそのように語り終えた時、人々は暗い顔をして俯いていた。誰も言葉を発しなかった。というのも、彼等はマイトレーヤの言葉に意気阻喪していたので。

 もちろん彼らにしてもたった今マイトレーヤの口から告げられたようなことを、そのように改まって指摘されるまでもなく知っていた。だから今さらそのような常識を改まって指摘されたところで狼狽する道理などないはずであった。殊に、彼等はそれぞれが優秀な学生であったので、この国の平均的な人間よりは知識が広く、何事かについて考えを巡らせることにも長けていたので、そのようなことを考えてみたことはあった。

 しかし、そんな彼らであってもマイトレーヤの口から、その理知的な口調で、神秘的かつ瞑想的な表情でそのように語るのを聞くと、それらの容赦ない言葉が紛れのない事実であり、避けることのできない現実であり、他の誰でもない自分達、即ち人間にとっての真実に他ならないことを、思い知らされた気になったのだった。要するに彼等は、確かに平均より多少は優秀な頭脳を持ってはいても、そのようなことが自分達にとって掛け値のない真実であり、かつ差し迫った問題について特に解決策を持っているというわけではなく、ただ普通の人々と同じように――いや、考える機会が多いだけに、却って一層――そうした現実から目を背けていただけなのである。

 彼らは互いに暗い顔を見合わせていた。しばらくして一人が言った。

 「僕は納得がいきません」

 「何が納得いかないというのだね、若者よ」

 「それは、「人間は存在していない」と貴方が言ったことです」

 「若者よ、私はそのようなことは言っていない。そのような短く儚い生物である君たちが、「存在」の名に値しないと言っただけだ」

 「同じことです!たしかに僕たちは百年かそこらしか生きることはできません。菩薩である貴方から見れば僕達の人生なんて、今日生まれたと思えば明日には死んでいるとでもいったような、一夜の幻のようなものでしょう。

 しかし、そのような儚い私たちであっても、しかし、その短い間だけは確かに生きているのであり、この地上に「存在」しているのです。それは貴方であっても否定できない事実である筈です。ですからどうか、弥勒菩薩よ。先の言葉を撤回してください」

 この言葉を聞くと人々はその表情を和らげ、顔色を僅かに明るくした。そして「そうだそうだ」「彼の言うとおりだ」「撤回してください」などという声が上がった。そしてその声には、マイトレーヤに対する反感が確かに込められていた。

 そこでマイトレーヤは、彼らを見返して言った。

 「若者よ。君は私の言葉に反論し、私は発言を撤回しろと言うのだな」

 「その通りです。何故なら、貴方の言葉は間違っているからです」

 「若者よ、それが理由であるなら私は、自分の言葉を撤回することはしない。何故なら、私の発言は間違ってはいないからだ」

 「なんですって!どうして間違っていないなどと仰るのですか。私達は、現に今あなたが御覧になっている通り、生きているではありませんか。こうやって、ほらこの通り、ここに存在しているではありませんか」

 その言葉に人々は、また熱心に頷いた。そんな彼らにマイトレーヤは問うた。

 「では、若者よ。私は改めて君に聞こう。その問いはこうである。『君は存在しているか?』」

 「勿論です。短い間ではありますが、少なくとも今はこうして、僕は存在しています」

 「なるほど。しかしその解答は、はたして真であろうか?」

 「その通りです。僕が存在している、それは真実です」

 「ああ、若者よ。君と私の見解には相違がある。しかしそれは、言葉の不正確な使用が原因であるのだ。私達は特定の言葉について、共通の了解を持っていない。このような対話においてはそれが何よりも重要なのだが。……即ち若者よ、君たちは「存在」と「真偽」についてまったく何も知らないのだ」

 マイトレーヤはこう言った。

 

7  「真」とは如何なるものであるか

 

 マイトレーヤはその学生に名前を尋ねた。学生はBと名乗り、この大学の教育学部の三回生であると言った。そこでマイトレーヤはBに言った。

 「Bよ。私の考えるところに拠れば、君はあまりに言葉を不正確に扱っている。いや、少なくとも無造作に扱っている。特に「真」並びに「偽」という重要な言葉の意義を気に掛けず、無自覚に使用している。そのために我々の意見は相違するのだ。

 或いは。より穏当に言うならば、「真偽」や「真理」「真実」などという言葉の意味が、私と君とでは異なるのだ。これでは正しい議論はできない。そこで我々は、無用な混乱を避けるためにも、ここで明確にこの言葉を定義して、共通の了解を作る必要がある。

 では、先の我々の対話を振り返ってみよう。

 Bよ。私は君に、『君は存在しているか』と問うた。これは命題である。この命題に対して君は、「勿論です」と答え、肯定した。

 そこで私は、君に『その答えが真であるか』と重ねて問うた。すると君は「その通りです」と肯定した。君は二つの問いに、二つの肯定で答えたのだった。

 しかしBよ。君はこの二つの問いに対して、特に二つ目の対して、些か不用意に解答してしまったのだ。少なくとも私は、そう考える」

 「どうしてそのように仰るのでしょうか?だって僕が存在するのは真実です」

 「Bよ。「真」とは、君が考えるほどに軽々しく無邪気に扱ってよい言葉ではない。我々の言う「真」とは、論理学上における真偽のそれであるのだから。

 ここに一つの命題があるとしよう。この命題が「真」であるとしたら、それはこの地上の何者にとっても、いや人間ばかりか天上の神々や仏であっても、それを覆せない絶対のものであるのだ。もちろん、だれにとってもなどとと言っても、それが真であると正しく導き出すことができるのは正確な思考能力がなくては不可能なのだが。

 しかしそうして十分にして正常な理性を有していたとしても、そして論理の過程を過たずに辿ることができるなら、その答えは正しく理解することができるのだ。

 それは例えば、『2+3=5』といった算術における命題を解くのが十歳の子供であってもこの大学の教員や学生が解くのでも同じ解答に辿りつくのと同じなのだ。またそれは数学上の定理――例えば三角形の内角の和は常に180度であるなど――が世界中のどの人種・時代・文明の人々でも否定できないのと同じであるのだ。

 Bよ。このように「真」とか「真実」とか「真理」などという言葉は、「常に」「何者に拠っても」正しいと認められる場合にのみ用いるべきだと私は考える。君はこれを認めてくれるだろうか?」

 「そうですね。認めます」

 「ありがとう。さてこのように、真実というものはだれにとっても常に正しいものでなくてはならない。それは正しい命題でなくてはならないのだ。

 では、Bよ。改めて私は問う。『今は昼である』、この命題は真であるか?」

 「はい。ご覧の通り、今は昼ですから。その命題は真です」

 「そうだろうか?Bよ、本当にこの命題は真であろうか?」

 「貴方が何を仰りたいのか、僕にはわかりかねます。僕の時計では今は2012年12月21日の、13時32分です。そして僕の感覚から言えば、13時32分は昼の内に入ります。……それとも貴方は、「正午でなければ昼間とは言えない」とでも仰るつもりですか?」

 「いいや、私は「昼間」という言葉の定義に拘泥しているわけではない。もしも君が望むなら、『13時32分は昼間である』と前提にしてもいい。

 ではこれを前提に、先の命題を次のように言い換えよう。『日本時間の2012年12月21日の13時32分は昼間である』と。この命題は真であるか?」

 「先の前提が有効なら、その命題は「真」です」

 「成程。君はこの命題を真と考えるのか。……しかし、Bよ。この命題は、実は偽であるのだ」

 「そんな馬鹿な!」

 Bは叫んだ。二人の問答を聞いていた人々も互いに意見を交わし、不審げにマイトレーヤを見やった。Bが憤然として言った。

 「貴方は矛盾しています。貴方は前提として、『13時32分は昼間である』と仰ったではないですか。それなのに今度はそれを否定する。これは矛盾する」

 「Bよ。その前提と、『日本時間の2012年12月21日の13時32分は昼間である』という命題は同一ではない。だから矛盾ではない」

 「しかし、その命題は前提を言い換えただけではありませんか」

 「いいや、違う。私たちがこうして対話をしている「今」を、仮に『日本時間の13時32分』であるとしよう(もっとも、実際にはもう過ぎてしまったが)。その上で質問しよう。『今は昼間である』この命題は真か偽か?」

 「真です。「今」が日本時間の13時32分のことであるなら、先の前提から真です」

 「Bよ。この命題は、人によって真でもあるし偽でもある。故に真ではない」

 「さっぱりわからない!」

 Bが怒ったように言った。人々の多くも同様だった。

 しかしそうした人々の中に、何事かに気付いたような表情を浮かべた者がいることにマイトレーヤは気が付いた。その髪の色は金色で、明らかにこの国の人間には見えないので、留学生であろうとマイトレーヤは考えた。マイトレーヤはその男に声を掛けた。

 「そこの君」

 すると話しかけられた男は驚き、マイトレーヤが確かに自分に向けて言葉を発したのを知って困惑しているようだった。そして少しぎこちない日本語で言った。

 「僕、ですか?」

 「そう、君だ。君の名前は?」

 「僕は、……ナッシュと呼ばれています」

 「そうか。ではナッシュよ、君はどうやらこの国の人間ではないようだが、何処の国から来たのだろうか」

 「イギリスです。オックスフォードからこっちに来ました」

 「成程、だから君はわかったのだな。気付いたのだろう?」

 「ええ、まあ……。要は、「場所」が問題なのでしょう?」

 「その通りだ、ナッシュよ」

 その時、業を煮やしてBが言った。

 「焦らすのはやめて、いいかげんに教えてください!一体何が問題なのですか?」

 「せっかちなBよ。つまりはこういうことなのだ。私は先に、「今」を日本時間の13時32分に限定した。だから「今」は昼間である。しかしそれが正しいのは、この国においてのみなのだ」

 「え?」

 「つまりBよ。13時32分という時刻は、この国における時刻でしかない。「今は日本時間の13時32分である」から、日本における「今」は13時32分である。しかしそれは日本においてのみ当てはまるのであり、「今」は他国では別の時刻で呼ばれるのだ。さてBよ、そこのナッシュの出身地であるイギリスでは、「今」は何時なのだろうな?」

 あ、と驚く人々にマイトレーヤは言った。

 「日本と彼の国には時差が八時間程あるというから、今は午前の5時半位であろう。もちろんこの時刻は、別に厳密な定義など必要なく、社会通念上から言って「朝」であろう。それは「昼間」とはいえない。もちろんイギリスだけではなく、他の国においての事情も考える必要がある。「今」はこの日本では昼間であるが、この地球上には「今」が夜の国もあるし、沈みゆく夕陽を今、この瞬間に眺めている人々もいることであろう。そうした国の人々にとって、『今は昼である』という命題は真ではない。

 だからBよ、この命題は真ではない。先に共通の了解を築いたとおり、真なる命題は誰にとっても正しいと認められるものでなければならないからだ」

 「し、しかしあなたは「日本時間で」と言ったではありませんか。わざわざ日本時間で、なんていわれたら、日本のことに限って考えるのが自然というものでしょう」

 「Bよ、その反論は正しくない。私は確かに「今」を「日本時間の13時32分」と限定はしたが、「場所」までも限定したわけではないからだ。

 だからBよ。もしも、この命題を真なるものとするためにはさらに、「場所」の限定を加える必要がある。あるいはそのような限定の一切を除き、『現地時刻で13時32分であるなら、その地域は昼間である』とする方法もある。このような限定を加えれば、いつ、どこで、誰にとっても正しく、真なる命題と認めることができるであろう」

 マイトレーヤはこう言った。

 

8  「真」とはいかなるものであるか②

 

 「ではBよ、それを踏まえて質問に答えてもらおう。『Bは生きている』、この命題は真であるか、偽であるか?」

 「真実ですよ!僕は生きています!」

 Bはむきになったように言った。またマイトレーヤは言った。

 「ではまた問おう。『Bは存在している』、この命題は真であるか、偽であるか?」

 「真実です!僕は存在していますし、この通り生きています!」

 するとマイトレーヤは嘆息して言った。

 「Bよ。君は感情的になりすぎて、冷静さを欠いてしまっている。そのために正しく判断ができていないのだ。他の者に聞いてみよう。ナッシュよ」

 マイトレーヤはイギリスからの留学生に声を掛けた。驚く留学生にマイトレーヤは質問した。

 「ナッシュよ。『ナッシュは生きている』、この命題は真であろうか、偽であろうか?」

 するとこの留学生は、奇妙な戸惑いと躊躇いを見せた。僅かな後、ナッシュはBと同じくそれは真だ、と答えた。そこでマイトレーヤはまた聞いた。

 「ナッシュよ。『ナッシュは存在している』、この命題は真であろうか、偽であろうか?」

 外国人の若者は答えなかった。ただ恐れおののくような顔で、マイトレーヤの顔を見ていた。その額に脂汗が浮かんでいるのを見つけて、マイトレーヤは奇異の感を受けた。しかしそのままにしてもおけないので、重ねて問うた。

 「ナッシュよ、どうかしたのか。『ナッシュは存在する』、これは真か偽か?」 

 「僕は……僕は……存在しています」

 ナッシュという留学生は苦しそうに言った。その搾り出すような声にマイトレーヤはまたも不審の念を抱いたが、議論を中断するわけにもいかないので捨て置くことにした。

 「Bよ、そしてナッシュよ、答えてくれてありがとう。君たちは確かに、君たちが答えてくれた通り、日常的な意味においては存在しているといえるし、生きてもいる」

 するとBが言った。

 「……気になる言い方ですね。それではまるで、学問的に正しく言えば、僕たちは存在しているとは言えないし、生きてもいないとでも言うようではないですか。それに貴方は、先の問いの正解を仰ってくれてはいません。教えて頂けませんか、貴方の考えに従えば、先の命題は真なのか、それとも偽であるのかを?」

 「では答えよう。Bよ、そしてナッシュよ。私の考えるところに拠れば、先の命題はどれも偽である」

 「そんな馬鹿な!」Bは非難の声を上げた。ナッシュはといえば酷く蒼褪た顔をしていた。マイトレーヤはそれに気付いて興味を抱いたが、人々もまた非難の声を上げ始めたので、そちらに対応しなければならなくなった。そこで言った。

 「若者達よ、落ち着いてほしい。君たちは不当な侮辱を受けたと言ってそのように騒いでいる。しかし、先程の我々の議論を踏まえれば、私が何ら不当なことを言ってはいないこと、むしろそのように非難する君達の方が不当であることがわかるだろう。

 先の議論を思い出して欲しい。ある命題を真であるという時、それはいつ、どこで、誰にとっても正しいと認めうるものでなければならないのだった。そこでBよ、君に聞くが、君はこのような意味で存在し、生きていると言えるだろうか?」

 「勿論ですよ!僕は生きていますし、存在しています。それは誰にだって、たとえばイギリス人にとっても、中国人にとっても、インド人にとっても、ボリビア人にとっても真実です!それを否定する奴がいたら、誰だろうとぶん殴ってやる!」

 「なんとも勇ましいことだ。それなら、私は君に殴られなければならないのだろうか?」

 「貴方が、あくまで僕の存在を否定されるのなら、僕は貴方に対してもそうするでしょう」

 「そうか。しかし私は、あくまで『Bという人間が存在する』ことを否定するよ。しかし、できることなら殴られたくはないから、その理由を話そう。

 Bよ。君は自分が存在するという。しかし、君はその同じ全くことを、今から百年の後にも主張することができるであろうか?」

 これを聞くとBは躊躇した。「それは……」

 「では、二百年後はどうだろう?あるいは三十年前では?いっそのこと百年前、それとも二千年前ではどうだろう?Bよ、君はこれらの時代に、君の主張が正しいと主張し得るだろうか?」

 「……いいえ」

 「その通りだ。三十年前、そしてそれより以前はもちろんのこと、君はまだ生まれてはいなかった。だから君は、生きていないしむろん存在してもおらず、それを誰にも主張し得ないのだ。

 そしてこれと同様、君が死んだ後についても、君は誰にも「生きている」とも「存在している」とも主張し得ない。もちろん君自身はもうどこにもいないわけだから、私は『Bという人間は存在する』という命題を別の誰かに発し、それは真ではなく偽なのだと主張するであろう。

 だから、もしも君が「それでも自分は存在する」と主張したいのであるなら先の議論を踏まえて、その有効な時間を限定しなくてはならないのだ。『Bという人間は××年から××年まで存在していた』という命題であるなら遠い未来の人間に対してもそれが真であると主張し得るし、これは現実には不可能である仮の話として語るのだが、君が生まれる以前の人間に対してもそれを主張し得るであろう――もちろん、その場合は証明できないのだが。数学上の定理や数式が何時の時代の誰にとっても真理として有効であるように、このような措置を施せば『君という人間が生きていたこと』は、誰にも否定できないのだ。

 人々よ。このように学問上の議論において真偽が問題となる時は――それはこの場も同様であるが――「真」や「真理」とはこのように厳密なものとして扱ってほしい。即ち「真理」とは永遠の相の下に、「普遍的に」受け入れられるものでなくてはならないのだ。

 人々よ。そのような訳であるから、不正確な質問や解答は避けなくてはならない。例えば、日常においてよく使用される「今は何時であるか」という問いに対する答えは、実は無限に存在すことを君たちは知っているだろうか。『今は何時であるか』という一つの問いに対する答えは、その質問がどの時に発せられたかによって答えは異なるのであり、即ち無限である。例えばそれが1997年6月19日の6時58分に発せられた問いであるならその答えは『今は1997年6月19日6時58分である』が正しいのだし、今なら『今は2012年12月21日の13時49分である』が正しい答えとなるのだ。しかも時間というものは地域に拠って異なるから、実は条件はもっと煩雑である。だからこの質問の場合、たった一つの「問い」に対する「答え」が無限に存在することになり、つまりこの「問い」自体が無効なのだ。これは、この問いが不正確に発せられたことに拠る。

 だから人々よ、質問というものは正確に発せられなければならない。その答えは、地球上のあらゆる時代の、あらゆる人々にとって正しいものでなければ真とは言えないのだ。

 人々よ。私が君達について「存在」という言葉が相応しくないといったのは、つまりはこうした意味である。君たちはこの地上において、ある短い期間だけはたしかに生きていると言えるが、それ以外の時間は断固として生きてはいないのだ。何故なら君たちは、永遠の相の下に生きてはいないのだから。

 であるから、Bよ。私の考える真理とは以上のようなものであり、この厳然たる真理の下において君の反論を認めるわけにはいかないのだ。だからBよ、そしてナッシュよ。君たちが何と言おうと、何と思おうと、『君たちは生きている』という命題、『君たちは存在する』という命題は、真ではないのだ」

 マイトレーヤはこう言った。

 

9  「存在」とは如何なるものであるか

 

 「Bよ。君はこれまでの私の言葉を認めてくれるであろうか」

 Bは答えて言った。

 「認めます。確かに僕は間違っていた……いや、言葉を不正確に使っていたのかもしれません。僕は二十一年前には確かに存在していませんでしたし、どんなに楽観的に考えてもあと百年もたてば――人間の寿命を延ばすような新技術でも発見されれば別ですが――死んでしまっていることでしょう。だからその時にはもう、『私は存在する』という言葉は誰にも主張できないでしょう。

 ついでに言うなら、この命題にある「私」という言葉も、それを発する人間によって変わってしまうわけですね。だからこの「私」は「B」という固有名詞に直さなくてはならないわけですね。

 ですから、僕が『自分は存在する』と正しく主張するなら、次のようになります。

 『Bは1991年11月8日から少なくとも2012年12月21日まで存在している』……と。もっとも僕はこれ以降も存在し続けるわけですが、少なくとも確実に言えるのは今日までのことですからね。

 貴方の仰ることはこういうことでしょう?このように詳しく限定しなければ、僕は「僕が存在する」ことを主張できないというわけですね」

 「その通りだ……と言いたいところだが、少し違う」

 「何が違うと仰るのですか」

 「Bよ。君はとても理解が早い。私の言ったことをすぐに理解し、それを正しく実践して見せた。先に私が言ったことを、君は完全に理解している。

 しかしBよ。君のやってくれたように、そのように期間を限定するならば確かに『Bという人間は存在する』ことは真であるということはできる。しかし私の考えるところに拠れば、「存在」という言葉はそもそも、そのように期間を限定して用いることはその性質としてそぐわないのだ」

 「そうでしょうか?「あれは存在する」、「誰それは存在する」なんて、僕らは特にこだわることなく、普通に用いていますが」

 「Bよ、だからそれこそ、言葉を不正確に用いているということなのだ。君たちは「存在」という言葉に留まらず、「真実」や「真理」というあの厳密な言葉ですら、日常において軽々しく用いているに過ぎないのだ。

 では聞こう。『Bよ、君は人間であるか?』」

 「はい。僕は人間です」

 「では、また聞こう。今日、即ち『西暦2012年12月21日に、Bは存在しているか?』」

 「はい。少なくとも今日のところは――この後のことはわかりませんが――『存在』しています」

 「では、また聞こう。『Bは存在であるか?』」

 「それは……。期間を限定してもいいですか?」

 「いや、駄目だ」

 「何故でしょうか?」

 「それは、「存在」という言葉は本来、確固として在る者にのみ用いられるべき言葉だからだ。君たちは単に何かが「ある」という事実をもってそれを「存在する」と呼ぶ。しかしそれは間違いなのだ。それは「有る」だけであり、存在するという意味の「在る」ではない。「存在する」というのは一時的に「有る」だけではなく、確固として「在る」のでなくてはならない。つまり、「実体」を有していなければならないということだ」

 「実体?僕達には実体があります。この肉体という実体が」

 「Bよ。君はその肉体を以って実体という。しかし君の肉体は「実体」ではない。私と君は、「実体」という言葉を別の意味で使用している。というのは、君は日常的な意味の「実体」のことについて語り、私は哲学言語としてのそれについて語っているのだ。

 哲学言語としての「実体」とは、他の何者に依らない自存のものである。それは何者にも脅かされることなく、確固として永遠の相の下にあるものである。それは変化せず、永遠に不変のものである。

 人々よ。実体というのはこのように確固とした揺るぎないものであり、永遠不変のものである。この実体を有しているものこそ「存在」の名に値するのである。そして、人間はこのような実体を有してはいないのだ。だから君たちは、「存在」ではない」

 「わかりました」

 Bは言った。

 「貴方の仰りたいことは理解しました。……しかし、納得できたわけではありません。だって「存在」という言葉をそのような意味に限定してしまうのなら、そもそもこの地球上に「存在」の名に値するものは何一つとしてなくなってしまうからです。紙や布といった朽ちやすいものは勿論のこと、草や樹木だっていずれは枯れてしまいます。永遠に生きられる動物はいないし、金属器や石造りの建物だっていつかは崩壊してしまうでしょうから」

 「その通りだ。いや、それだけではない。地球上の全てのものどころか、地球という惑星そのものも存在の名に値しないからだ。君たちにとって世界そのものに等しい地球という惑星も、万物の根源である太陽という恒星も、いずれは爆発し消滅する。その時はもちろん、そんなことはありえないが人類が生き残っていたとしても、その痕跡もろとも一切が消滅してしまうであろう。

 だから人々よ。地球上の全てのものは存在しないのだ」

 「ふざけるな!」

 人々の内の一人が言った。

 だったら、俺達は何なんだ!俺たちが「存在」じゃないというのなら、ここにいる俺達は何なんだ!それともあんたは、俺たちが今、ここにいるということすら否定するつもりか?」

 彼の言葉はその場にいる人々の総意、ではなくとも大勢を占めていたらしかった。マイトレーヤは彼らの多くが怒り、感情を害していることを知り、このままでは冷静な対話が不可能となることを危惧した。

 そこでマイトレーヤは彼らの頭を冷やすために、その右腕を上げた。そうして人々の注意を惹きつけると、幻力に拠ってその掌に緑色の炎を灯した。

 これを見ると人々は非常な驚きの念に打たれ、その口を閉ざした。彼等はこの不思議な業を目の当たりにすることで、改めて自分達の目の前にいる人物が、当たり前の普通の人間とは異なることを知ったのである。それは勿論、マイトレーヤの望んだ効果であった――というのは、彼はそのように自らの力を誇示することを好まなかったのだが、対話の相手がそのように感情的になるのはもっと好ましくなかったのである。

 呼吸を忘れたようにその炎を見つめる人々に向けてマイトレーヤは言った。

 「人々よ、この炎を見て欲しい。この炎は、これから先の話をわかりやすくするために私が幻力に因って灯したものだが、さしあたってそのことは無視してほしい。君たちはこの炎を自然の、木や油を燃やして灯した炎だと思って欲しい。

 さてBよ、君に聞こう。『この炎はここにある』――これは正しいだろうか?」

 Bはこれを聞くと、先までの怒りを忘れて――というのも、マイトレーヤの不思議な力にあっけにとられて、また畏れも感じていたので――冷静を取り戻し、おとなしく言った。

 「……はい。その炎が、貴方が不可思議な力によって生み出した不思議な炎ではなく、木や油を燃やす自然の炎と同じものだと仮定するなら、その炎はたしかに『今、貴方の掌の上にある』と言えます。……時間の限定は必要ですか?」

 「いや、君はもう正しく理解しているとわかるので、それは略すことにしよう。時間の限定は『今』という言葉で代替しよう」

 「わかりました。では、『炎は今、貴方の掌の上にある』――これは真です」

 「よろしい。では、言葉を変えて聞こう。『この炎は今、存在している』――これは言えるだろうか?またこうも問おう。『はたして、炎は存在だろうか?』」

 人々はこの問いに顔を見合わせ、戸惑った顔でボソボソと相談を始めた。マイトレーヤはこれを見守り、じっと待っていたものの、誰も口を開こうとする者がいないので言った。

 「どうだろう?『この炎は存在するか』、『炎ははたして存在であるか』、意見を述べられるものはないだろうか?」

 するとまたBが言った。

 「いいえ、弥勒菩薩よ。炎は存在しているとはいえません。炎は存在ではありません」

 「成程。Bよ、君は炎は存在していない、炎は存在ではないというのか。では他の者に聞くが、誰か彼の意見に反対して、『炎は存在である』と主張する者はないか?」

 誰も答える者はなかった。そこでマイトレーヤは言った。

 「どうやら異論はないようだから、君たちはこの炎を「存在」とは認めないとの結論を出したと見做そう。しかし、それはおかしなことだ。何故ならBよ、君は先程の質問に、『この炎が今、私の掌の上にある』と認めたのではなかったか。

 それとも、やはりそれは間違いであったのか?私の掌の上に燃え上がる緑の炎、君たちが確かに目にしているこの火は、本当はここにないのだろうか?」

 「……いいえ、あります。その美しい緑色の炎が幻覚ではなく、木や油を燃やして得る自然の炎と同じと仮定するなら、その炎は貴方の掌の上にあります」

 「若者よ。それはこの炎が今、ここに「存在している」という意味だろうか?」

 「いいえ、そうではありません。先に貴方が仰ったように、「存在」という言葉はもっとしっかりとした物に相応しい言葉です。その意味で、炎は存在とは呼べません。……それでも、炎は「ある」のです。存在としてではなく、「ある」のです」

 「Bよ、君の言葉は矛盾しているのではないか?」

 「いいえ、そうではありません。炎はたしかに「ある」のですが、それは「存在」という様態ではないということです。炎は、「存在」とは別の仕方でこの世にあるのです」

 「ほう、面白い。では炎は、どのような仕方でこの世に「ある」のだろうか?」

 Bは答えようとしたが、言葉に詰まった。彼には適当な言葉が思い浮かばなかったのだった。その時、彼の隣にいた眼鏡を掛けた学生が、助け舟を出して言った。

 「それは「現象」です。炎というのは「存在」ではなく、物質が酸化する時に発する熱や光のことを言うのであって、それはつまり「燃焼」という「現象」に過ぎないのです。だから弥勒菩薩よ、炎は「存在」としてではなく「現象」という様態でこの世にあるのです」

 「成程。ところで君の名前は?」

 「Cと言います。理学部の二回生です」

 「ではCよ。君の言うとおりだ。炎は「存在」としてこの世に在るのではない。かといて確かにここに「ある」のだから、「ない」のでもない。炎は「存在」として在るのではなく、「現象」としてここに有るのだ。

 そして人々よ。私が君たちを指して「存在」の名に値しないと言ったのは、そのような意味であったのだ。というのは、君たち人間――に留まらずこの世の全てのもの――は、この炎とまったく変わるところのないものだからだ。

 即ち人間よ。君たちは「存在」としてではなく、「現象」としてこの世にあるのだ」

 マイトレーヤはこう言った。

10  人間とは「現象」である 

 

 人間とは現象であるというマイトレーヤの言葉に対し、人々の反応は様々だった。不満げな顔つきを隠そうともしない者もいれば、それに納得する少数の者もいて、そして大部分の者は困惑していた。それもどちらかと言えば、否定的感情から来る困惑のようだった。……が、正面からマイトレーヤに反論しようとする者は少ししかなかった。 

 さてその中で、例外的に果敢に声を上げるものが二人いた。その一人であるBが言った。 

 「納得できません」

 「何が納得できないのだろう、Bよ」

 「もちろん、貴方がたった今仰ったことです。貴方は人間は「存在」の名に値しない、その頼りなく揺らめく炎と同じく「現象」でしかないと言いました。……でも、違います。僕らは現象なんかじゃありません」

 「ほう。どんな理由があって君はそのように言うのだろうか」

 「それは……上手く言えませんが、とにかく違うのです。根拠はありませんが、違和感があるのです。どう言えばいいのかわかりませんが、とにかく人間というものはどう考えても、炎なんかとは違うものです。それはわかりきったことです」

 「そうだろうか?」

 「そうですよ。だって火なんていうものは、水を掛けただけで消えてしまうものじゃありませんか。いや水どころか、風が吹いただけで消えてしまう。小さな火なら、子供が息を吹きかけるだけで消えますよ。火なんてものはそんなにも弱くて儚いものなので、人間と同列には論じられないのです」

 「Bよ、君は火など弱くて儚いものだという。しかし、はたしてそうだろうか?君は火を侮っているだけではないのか?弱い火なら確かにすぐ消える、しかし君たち人間は、そのような火によって容易に焼け死んでしまうではないか。それを思えば、人間と火のどちらが本当に強いと言えるだろうか」

 その言葉にBは怯んだが、また言った。

 「しかし、火は水を掛けられたら消えますが、僕たち人間は水を掛けられても消えたりしません。どんなに弱い子供でも、それだけでは死なないのですよ」

 「たしかに、その肌に水を掛けただけで死ぬ人間はいない。しかし、たったバケツ一杯の水であっても、それに人間の顔を突っ込んでしまえばそれだけで人間を殺せるではないか。他方、小さな火ならともかく、家一軒を焼き尽くす大きな炎であったら、到底バケツ一杯の水などでは消すことはできないのだ。さてBよ、このような火と人間の、どちらがより強いだろうか?」

 Bはまた反論しようと口を開いたが、思いつく言葉がなく悔しげに口を閉じた。そして彼に代わってCが言った。

 「僕も彼と同じく、人間が現象であるとする貴方のご意見には納得できません」

 「ほう。どのような理由で以って?」

 「それは、「現象」という単語はそもそも「一時的なもの」を指すものであって、「持続的なもの」を指す単語ではないからです。先程から現象の例として言われている「火」は彼の主張したように、息を吹きかけただけで消えてしまうものですし、それが例え家一軒を焼き尽くすほどのものであっても、街一つを焼き尽くすものであったとしても、燃える物がなくなればたったの数日で燃え尽きてしまいます。どのような強大な炎でも、それは持続的なものではないのです。

 ですから火というものにはその本質として、「一時的なもの」でしかないのであって、その点が人間とは決定的に異なります。なんといっても人間は本来的に、数十年は生きるように出来ているのですから。とはいえむろん、事故とか病気によって不幸にもその寿命を全うできないこともありますが、それはあくまで例外です。そのような生存を阻害する要因さえなければ、人間は数十年、あるいは百年と持続的に生きられるのです」

 「Cよ、君がそのように思うのは理解できる」

 マイトレーヤはそのように言い、また口を開いて言った。

 「しかしCよ。一時的なものを指して「現象」と言うのなら、私にとっての君たちはまさにそのようなものに他ならないのだ。なにしろ先も言ったように、君たちは百年しか生きられないのだし、人類の歴史というものそれ自体もまた、宇宙的時間からすればほんの瞬き程度のものでしかないからだ。

 だからCよ。私としてはそのような者たちを決して持続的なものとは見做し得ないし、よって「存在」とは呼べず、「現象」という言葉が相応しいと思えるのだが」

 するとCは些か頬を紅潮させて言った。

 「それは確かに、貴方にとっては人間などそのように一時的なものでしかないのかもしれません。しかし貴方にとっては短いというその百年という時間も、私たちにとっては十分以上に長いものですし、それどころか場合によってはたったの一年ですら、悪夢のように長く思えるものなのです。

 少なくとも、僕等にとっては十年だって短いなどとは決して思えません。というのも、僕らはまだせいぜい二十年かそこらしか生きていないものですから。しかし若者ならともかく、年をとれば十年などはあっというまだと言う人もいます。

 時間というのは、一定のようでいて、実はそうではありません。待ち遠しいことがあれば、たったの三十分でも長く感じます。僕は中学時代に陸上をやっていたのですが、全力で走っている間は一分一秒がとても長く感じたものです。

 菩薩である貴方にとって、僕たちの一生は瞬きしている内に終わってしまうような一時的なものかもしれません。しかしこのように、そんな短い時間でも僕たちにとっては十分なのです。貴方の仰る「たったの」百年、それだけの時間を僕たちは、必死になって駆け回り、笑って、泣いて、恋をして、そうやって懸命に生きているのです!」

 その言葉……いや演説は、その場にいた人々に興奮と感動をもたらした。彼の言葉は熱烈に歓迎された。誰からともなく拍手が始まり、賞賛の声が口々に上がった。彼等は皆、マイトレーヤの言葉によって少なからず気分が沈んでいたために、この力強い言葉によって生気を取り戻す思いだった。

 マイトレーヤもまた感心し、賞賛の意味を込めて拍手に加わった。そうして赤面するCに言った。

 「Cよ。良い若者よ。君の今の話はなかなか見事だった」

 「いえ、そんな……恐れ入ります」

 Cはひとしきり謙遜した後、改めてマイトレーヤに向けて言った。

 「弥勒菩薩様。それでは、認めてくださるのですか、僕の言うことを?つまり人間は現象のような儚い、一時的なものなどではないと?」

 「ふむ。君の熱弁は見事なものだったし、私も譲歩するのに吝かではない。そこで提案だが、改めて我々の間で語り合い、新たな基準を作ることにしようではないか」

 「基準ですって?何の基準なのですか」

 「もちろん、「存在」と「現象」を画然と区別する、時間的基準だ。君の説に拠れば、現象とはその本質として、一時的なものであるということだった。

 であれば、その「一時的」という曖昧な言葉が、具体的にどれほどの期間を指すのか定めなければならない。そのような基準さえ用意すれば、それで「存在」と「現象」とを明確に区別することができる筈だ。その基準より長く存続するものが即ち「存在」であり、それより短い期間で消滅するものは「現象」ということになるだろう」

 「(少し考えて)……そうですね。それでいいと思います」

 「では、君の確認を取りながら話を進めよう。では手始めに、その基準を百年に設定してはどうだろう?君の言う、人間のおよその寿命だが」

 「弥勒菩薩様、それでは存在の基準としては、少しばかり長すぎると思います。たしかに最近では、百年生きることもこの日本ではさほど珍しいことではなくなりつつあります。それでも大多数の日本人は百年も生きられないのです」

 「まして、世界に目を向ければ」

 Bも言った。マイトレーヤは頷いた。

 「君たちの言うことは尤もだ。では、一気に半分に減らすとしようか。五十年ではどうだろう?」

 「いいえ、まだそれでは長すぎます。お忘れですか、ここにいる僕等の大半はまだ二十年かそこらしか生きてはいないということを(もっとも、貴方に限って何かを忘れるなんてことはないでしょうが)。もしも「存在」として認められる基準を五十年に設定してしまえば、ここにいる僕らはやはり「現象」に過ぎないということになってしまいますよ」

 「それもそうか。では、二十年なら文句はあるまい」

 Cは少し迷いを見せたが、また首を振った。

 「いえ、それでもまだ長すぎるようです」

 「そうか。では十年ならどうだろう」

 「……そうですね。それくらいなら……」

 「いや、それでもまだ長いんじゃないかな」

 割り込んできたのはBだった。

 「十年も生きられない動物はたくさんいる。……何より、それだと十歳未満の子供達を差別することになってしまうだろう?」

 「それもそうですね。弥勒菩薩様、やはりそれではまだ長いようです」

 「そうか。では八年ならどうだろうか?」

 「……いや、まだ……」

 「では五年?」

 「いえ……」

 「三年?」

 「いいえ」

 「二年?」

 「……まだ……かな」Bが言い、Cが「そうですね」と頷いた。

 「おやおや、百年から始めて、随分と短くなってしまったものだ。では一年ならどうであろうか?」

 「……そう……ですね」

 「まあ……そんなところかな?」

 CとBは互いの顔を窺いつつ、歯切れ悪く言った。彼等はそのように言いながらも核心が持てないようだった。マイトレーヤはそんな二人の若者を見て微笑を洩らし、この会話を見守っていた人々に向けて言った。

 「この二人の賢明な若者はこのように言っているが、君たちはどうだろう?この基準に拠れば、一年よりも長く存続するものは「存在」の名に値し、それよりも短くしか存続し得ないものは「現象」ということになる。そのように定めてしまってもよいか?」

 敢えて反論する者はなかった。人々は曖昧な表情を浮かべ、なんとなく頷いた。それを見たマイトレーヤは一つ頷くと、続けて言った。

 「成程。では、生後一年に満たない赤子は、「存在」である君達の仲間とは認められないと、そういうことでよいだろうか」

 これを聞くと人々は動揺した。それまでの沈黙が嘘のように彼等は口々に叫んだ。「いいえ、そうではありません!」と。そこでマイトレーヤは言った。

 「一年ではまだ長いというのか。それでは半年ならどうだろう」

 「いいえ、もっともっと短くなければ!」

 「では三ヶ月?」

 「まだです!」

 「一ヶ月?」

 「いいや、まだまだ!」

 「なんと、一ヶ月でもまだ長いというのか。一ヶ月よりも長く存続し続けるものとなると、この地上における殆どの者がそうであろうに。

 しかし君たちがそのように言うなら、私ももっと思い切って短くしてみよう。三日ではどうだろう?生後三日に満たない赤子であるなら、「現象」として捉えることに差し障りがないだろうか?」

 「それは……」

 「言い方を変えようか。この世に生れ落ちて間もなくして、不幸にもその生命を失ってしまう赤子なら、「現象」としてしまってよいだろうか?そのような気の毒な赤子だけが「現象」の名で呼ばれ、その数日を生き延びた君達のような人間だけが、「存在」の名に相応しいのだろうか?」

 今や人々は完全に押し黙り、一言も声を発せないでいた。BにしてもCにしても苦悶の表情を浮かべ、反論する術が見つからないようだった。マイトレーヤはそんな彼らの顔を見回し、穏やかな口調で話し始めた。

 「人々よ、もう気付いたことであろう。このように、存続する期間の長短を以って「存在」と「現象」とを区別しようとするのは正しくはないのだ。

 この世の物質的現象は全て、最適な条件さえ整えば、何百年何千年と同一の事象としてこの世に留まることができる。が、そうした比較的に堅固な物――例えば城郭や宝石細工――であっても、自然災害や強力な兵器によって、一年と満たずに破壊されてしまうこともあり得る。それは、例えば何億年何十億年もの寿命を有する天体にしたところで、事情は変わらないのだ。それこそがあらゆる物体の本質に他ならず、免れ得ない宿命である。であれば、徒に区別することなく、全てを物質的な「現象」と見做すべきなのだ。

 Cよ。君はまたこのようにも言った。「現象」には「一時的なもの」という性質があり、「存在」には「持続的なもの」という性質があると。そして「火」は燃料がなければ忽ちの内に消えてしまうから一時的なものであり、因って現象であると。それに対して「人間」は事故や病気といった要因がなければ本来的に百年近く生きられるのであり、これは人間の寿命としてそのように定められているのであって、だから人間は本来的に「持続的なもの」という性質を持っているから「存在」である、と。

 しかしCよ、これは実はおかしな理屈であるのだ。事故や病気さえなければ百年近く生きられると君は言うが、はたしてそれは正しいのであろうか?人間は本当にそのように強固で、持続的なものと言えるだろうか?

 そうではない。なぜと言うなら人間とは、生存の為の努力をしなければ数日すらも持続できない生物ではないか。先も話したとおり、君たちは栄養を補給しなければ死んでしまう。水を飲まなければ死んでしまう。何より、酸素を得なければすぐにも死ぬ。暖を取らなければ凍死するし、夏の日差しをまともに受ければ倒れるだろう。

 このように、人間は「存在」と見做すにはあまりに不完全なものなのだ。君たちは「火」は燃料がなければ消えてしまうという。風が吹き、水を掛ければ消えてしまうという。しかしそれは、人間にしても事情は同じではないのか。君たちもまた、栄養という燃料を得なければその命は絶えてしまう。火が水や風によって消えるように、君たちも夏の日差しや冬の厳しい寒さによって死んでしまう。それは全く同じことで、ただ君達はそれを避ける事ができるという、ただそれだけのことなのだ。

 君たちは、まだ納得できないかもしれない。だから私はさらに語ろう。

 人々よ。君たちは、火というものは燃料がなければ消えてしまう、だから儚い現象に過ぎないのだという。しかしそれは、裏を返せば燃料さえ与え続ければ、火はいつまでも燃焼し続けることができるということなのだ。

 私は知っているし、君たちもまた当然の如く知っていることだろうが、この国のヒロシマという街には、六十七年前の戦争において起きた悲惨な出来事を忘れないために、絶やすことなく火が灯されているという。平和への願いを込めたその灯火は、だからもう何十年もの長きに渡りこの世に存続している「火」である。

 それに対して、君たちはどうであろう?見たところ君達の多くは、二十年かそこらしか生きてはいないではないか?ではCよ、そのようにまだ二十年しか生きていない君たちと、既に誕生してから何十年も持続し、恐らくはこれからも長きに渡り燃え続けるであろうこの灯火と、どちらが「存在」の名称に相応しいであろうか?」

 「そ、それは……」

 「またこの国には、天台密教の総本山と呼ばれる山に千年も前から灯り続ける、「「不滅の法灯」なる火があることを私は知っている。そのような千年も保ち続ける火と、場合によっては一日にも満たない生しか得られない人間、最長でも百二十年程しか生きられない人間と、どちらが「一時的」でどちらが「持続的」と言えるであろう?一体どちらが「存在」の名に相応しいのであろう(それは勿論「火」の方である。しかし本当は、どちらも相応しいなどとは言えないのだ)。

 だから、人々よ。ある事象の持続する時間の長短によって「現象」と「存在」とを区別することは誤りなのである。何故なら、物質を伴う者は皆、いずれは崩壊する運命にあるのであり、故に全ては等しく「現象」であるのだ。だから永遠に生きられない人間なるものも勿論、物質的現象に他ならない。君たちは蝋燭に灯る炎と同じく、いや時にはそれよりも短い生命しか持ち得ない、儚い現象に過ぎないのだ」

 マイトレーヤはこう言った。

 

11  再び「存在」と「現象」について

 

 「……しかし、それはやはりおかしいのではないでしょうか」

 しばしの沈黙の後に言ったのは、やはりCであった。

 「人間と火とでは、やはり違うのではないでしょうか」

 「ほう。何が違うというのだろう?」

 マイトレーヤは興味を覚えた。

 「それは、人間にはこの「肉体」という実体があるのに、火にはそのような物質的な実体がないからです。僕たちには肉体という、この手に触れることのできる確固たる物体があって、それのお陰で「今」「ここに」いることができるのです。

 このような僕たちに対して、火というものは手で触れることのできる物質ではありません。火は僕たちと違い、この地上において拠り所となるべき、物質という実体を持たないのです。その理由は(先も言った通り)、火というのは燃焼という現象に過ぎないからです。

 これと同じことは、火と同じく現象である「風」や「波」についても言えます。風や波にも物質的な実体はありません。なぜなら「風」というのは気圧の高低差によって起こる空気の移動という現象を言うのであり、波というのもまた水そのものを指すのではなく、水面に於ける水の移動という現象に他ならないからです。

 このように、物質によって構成されていないもの、その本質として物質という実体に緊密に結びついていないもの、そのようなものが即ち「現象」であると僕は考えます。このような意味で、火や風や波は現象と呼ばれるのです。

 これに対して僕等のような人間、それにあらゆる動植物は勿論のこと、鉱物のような無機物でも有機物でも、それらを素材とする道具でも何でも、物質的な実体を有するものは何でも「存在」と呼びうるのであって、その点で「現象」とは異なるのです」

 このようにCは語った。

 Cが持ち出したこの新たな理屈は、またしても人々のその生活的実感に添うものであり、それゆえに全面的に支持された。それは彼らがうまく言葉によって表せないながら、それでも漠然と抱いて違和感をまさに的確に代弁していたからだった。即ち人々は、この世界に重量ある確固とした物質的肉体を具えている自分達が、「現象」などというどこか曖昧で、不安定でなんとなく頼りない、はっきりしない言葉で表現されることがどうにも納得できなかったのである。

 「はたしてそうだろうか?」そこでマイトレーヤは言った。「君達は本当に火や、風や、波といった現象とは違ったものなのだろうか?」と。人々は答えて言った。

 「何を言われるのですか。勿論私達は、そんな実体のないものではありません」と。

 「私は前に哲学言語としての実体について語ったのに、君たちはもうそれを忘れて「実体」を単に手に触れることのできる「物質」という意味に用いている。では私も君たちに従い、そのようなものとして語ろう。

 Cよ。君は火や風や波といったものは物質によって構成されていないから現象なのだと言った。しかし、はたしてそうであろうか?燃え盛る炎といえど、燃料となる油や炭のような物質がなければ燃焼できないというのに。また、真空においても火は発生することができないのだから、火には酸素という物質が必要である。また、真空においては風も生じない。これは風が空気の移動という現象であるからだが、それはつまり風という現象もまた「空気」という実体(物質)に拠るのだということではないだろうか?また、当然ながら波という現象もまた、水という物質がなければ生じないのだ」

 「それは……そうかもしれません。でも……」

 「あの、ちょっといいでしょうか?話が逸れますが……」

 Cが口ごもったのを見て、そう口を挿んだのはBであった。彼は緑の焔、即ちマイトレーヤが彼らの目に喩えとして現出させて見せた、あの不思議な焔を指差していった。

 「火が燃えるには燃料が必要であるとあなたは仰いました。では、貴方が先程からずっと見せてくださっているその不思議な焔は一体、何を燃料にしているのでしょうか?見た所、何かを燃料にしているようには見えませんが……」

 「ああ、これか。なに、これには別に燃料などは必要ではないのだ。というより、これはそもそも焔ではないのだ」

 「焔ではない?では何なのですか」

 「これはただ、あたかも此処に焔があるように見せかけているだけに過ぎない。つまりは単なる映像であり、君たちはありもしない幻覚を見ているに過ぎないのだ」

 マイトレーヤがこともなげにそのように言うのを聞くと、人々は思わず感心した。そう言われてから改めて炎を見ても、やはり彼らの目にはそこに確かに炎が揺れているようにしか見えないのだった。不思議に思ったある者が聞いた。

 「とても幻覚とは思えません。一体、どのような仕掛けで以って、私たちにこのような幻覚を見せているのですか」

 「若者よ、それは特に難しいことではない。何故なら視覚が捉える映像というものは、脳の中の電気信号に過ぎないからだ。つまり私は、ここに集まった君達の脳の中の電気信号を操って、ここに炎があるように思い込ませているだけなのだ」

 それを聞くと人々の顔は歪み、ごく僅かな者が興味深げな表情を浮かべただけで、大抵は気味が悪いとでもいう表情を浮かべた。というのも、いかに相手が神聖なる菩薩であると信じたところで、自らの脳味噌の中を好き勝手にいじられるというのはなんとも厭な感じがしたからである。

 賢明なるマイトレーヤは、自分がまたしても人々の不興を買ったことを忽ち見抜いたので、すぐにその炎を消した(と見せて実際は、人々の脳への干渉を止めた)。そして言った。

 「さて話を戻そう。Cよ、このようなまやかしの炎を除けば、火が燃えるには酸素や燃える基体となる物質が必要なのだ。それはまた、風や波といった現象においても事情は変わらない。君達のいうところの現象とてやはりこうして、君たちと同じようにその発生には物質が必要であるのだ。それは君達(のみならずあらゆる動物や植物といった生物、無機物から有機物にいたるまで)が、物質としての肉体がなければこの世に生じ得ないのと、全く同じであるのだ」

 するとCが首を振った。彼はBが時間を稼いでくれている間に、マイトレーヤに対する反論を練っていたのだった。そして言った。

 「いいえ、弥勒菩薩よ。それは違います。火や風、波といった現象と僕たちのような人間とでは、やはり事情が異なるのです」

 「ほう、何が異なると言うのだろう」

 「確かにそれらの現象も、そうした物質がなければ発生し得ないし、存続できないのは確かです。それは人間と同じです。けれど、だからといって全ての事情が同じであると言うわけではない。というのも、そうした現象の場合は物質との結びつきが緊密ではないのに対し、人間の場合はその結びつきがより緊密で強固であるからです。

 たとえば波という現象を例にすれば、それは「水の移動」という現象なのですから、その発生にはもちろん水という物質が必要となります。それは貴方のご指摘通りですが、しかしその場合でも、波という現象に結びつくのはある特定の水分子でなくてもよいのです。

 試しに、一つの波Aの発生からその終焉に至るまでの過程を追ってみましょう。この波Aの発生には、それこそ無数の水分子の集合が必要となるわけで、この波はその水分子の集合から構成されているわけです。それをわかりやすくするために、ここでは仮に水分子①、②、③、④、⑤の五つで構成されているということにしましょう。

 さて、この五つの水分子の構成によって発生した一つの波Aは、その終焉においてまでずっとこの五つの水分子に固定されているのでしょうか?いいえ、それは明らかに、そうではないのです。波は移動するにつれて、その自己を構成する水分子を絶えず入れ替えています。水分子①はその外部にある水分子⑥と換わり、②は⑦に換わり、③は⑧に換わり……と、このように波は絶えずその構成を入れ替えているのです。そしてついには、最初に波Aを構成していた①~⑤までの水分子は全て、他の水分子と入れ替わってしまうでしょう。しかしそのように中身――つまりは波を構成する物質的な要素――が全て入れ替わってしまったところで、その波Aが別の波――波Bや波C――となるのではなく、発生から終焉に至るまで一つの波Aとして持続することは疑いないのです。

 というのは、波という現象の本質は「水面における水の移動」それ自体に他ならないのであって、その組成が変化することは、その本質には関わりないことだからです。このようなことは風や火の場合も同様で、つまり「現象」は特定の物質との結びつきがない、もしくは非常に弱いと言えるのです。

 他方、私たち人間の場合はそうではありません。「僕」という存在は、この「僕の肉体」と分かち難く、緊密に結びついています。この「僕の肉体」を離れては、僕という人間は一秒たりとも存在することができないのであって、別人の肉体に拠っては決して存在できないのです。僕の手や足が負傷したからと言って、他人の手や足と付け替えることはできません。自分の外見や体格に不満があるからといって、他の人の顔や脳味噌と交換してもらうことはできません。そんなことをしたら、「僕」は「僕」ではなくなってしまうことでしょう。

 このように人間は自分の身体、つまり物質的要素と分かち難く、この上なく緊密に結びついていると言えます。その点が火や波や風といった現象と異なる点であり、僕たち人間をそれらと一線を画す、「存在」たらしめているのです!」

 以上のようにCは語った。

 今度もまた、彼の言葉は人々に好意的に迎え入れられた。人々は大いに満足を覚えた。そして、彼のこのような見事な反論に対しマイトレーヤがどう答えるのか、興味を持って見守った。

 ところでマイトレーヤはそのような人々の期待に反して、まったく別のことを考えていた。彼は聴衆に混じる一人の青年の反応に気を取られていたのだった。その青年は、この国の学生とは明らかに異なる身体的特徴を持っていた。マイトレーヤはその青年の名前を知っていた――それは先に彼が言葉を交わした、留学生のナッシュだったのである。何故あのような悲壮な顔をしているのだろう、とマイトレーヤは彼を見て思った。

 マイトレーヤは不思議に感じてナッシュの顔を見ていた。しかしナッシュの方は彼のその視線に気付くと、不自然に目を逸らしてしまった。しかしその悲痛なる表情はその本人の意思に反して何事かを訴えているようで、マイトレーヤの心に残ったのだった。

 そんな彼の態度に不審を覚えたのはCであった。「どうしたのですか」と彼は聞いた。そこでマイトレーヤは物思いを中断し、彼らとの対話に戻った。

 「Cよ、君はなかなかに鋭い。話し振りもよい。君は政治家に向いているのではないか」

 「おだてないで下さい、貴方ともあろう方が。僕は政治になんて興味はありませんよ。それに貴方はご存知ないかもしれませんが、この国では演説が上手いだけでは政治家になんてなれないのです。この国は民主制ではなく、衆愚制国家ですからね」

 言葉どおり、嬉しくもなさそうに若者は言った。

 「それより、議論の続きをしましょう。僕の言ったことを認めてくださいますか?」

 「いや、残念ながらそれはできない。何故なら、君の意見は間違っているからだ。Cよ、君は自分の肉体を取り替えることはできないと言った。しかし実際は、君の肉体は他と取り替えることができるのだ」

 「何ですって!」

 Cはぎょっとして言った。「本気で仰っているのですか」

 「勿論だ。Cよ、いや君のみならず、人間の体は取り替えることができるのだ」

 「そんな馬鹿な!一体、貴方は冗談を仰っているのですか。そのようなことができる筈がない」

 「できる筈がないと?しかしCよ、君は実際に生まれてから今日まで、ずっとその身体を入れ替えてきたのだ」

 「何を仰っているのですか?そんなことができれば苦労はない。どれだけ取り替えたいと願ったところで、そんなことは不可能なんですよ!」

 「ではCよ。君はあくまで、その身体を取り替えたことがないというのか」

 「そうですよ!」

 「誕生した時からずっと今まで、その身体を取り替えたことがないと?」

 このマイトレーヤの言葉を聞くとCは少し考え、やがて得心したように言った。

 「成程、貴方の仰りたいことがわかりましたよ。おそらく貴方が、産まれた時の僕は赤ん坊の姿で、今とは全く違っていた筈だと主張したいのですね。子供の僕はどんどん大きくなって、常にその姿を変えてきたのだから、同じものではないと。

 しかし、そのような理屈は正しくはありません。いくら大きくなり、その外見が変わろうと、僕の体は僕の身体のままであり、他と入れ替わったわけではないからです。いくら姿が変わっても「僕」は「僕」のままで、同一性を保っているのです。この肉体を離れては僕は僕ではなくなるのであり、この体が(それだけではありませんが)僕自身なのです」

 「成程」

 マイトレーヤはそう呟くと、それまで立っていた縁石の上から降り、人々と同じ高さに立った。そして人々の見守る中、Cの目の前まで歩いていくと、彼に向かってその右手を差し出した。Cは戸惑いながらもその手を握った。そこでマイトレーヤは言った。

 「Cよ。この肉体、私が握っているこの右腕が、君自身なのだね」

 「その通りです。これが僕の右腕、僕の一部であり、僕自身としての肉体です」

 「成程。それでは一週間後でも、私はこうして君自身である、「この右手」を握ることができるだろうか?」

 Cはその不可解な問いに眉を顰めたが、それでも「貴方がお望みなら、それは可能でしょう」と答えた。するとマイトレーヤは彼の手を放して言った。

 「それはおかしい。Cよ、それは全く奇妙なことだ」

 「奇妙?一体何がおかしいと言うのですか」

 「Cよ。君は風呂に入るであろう」

 「もちろん。毎日欠かさず入りますよ」

 「そうか。しかし、それは何の為だ?Cよ、君達は何のために風呂に入るのだ」

 「何故って……?」

 「君の髪は短いが、それは君が髪を切るからではないのか?君の爪は短いが、それは爪を切っているからではないのか?」

 それを聞いてCは気付いた。人々もまた気づいた。そこでマイトレーヤは言った。

 「もうわかったであろう。君たちの肉体というものは、決して常に同一の物質的要素によって構成されているわけではないということだ。君たちの髪は絶えず伸び、やがては抜ける。君たちの爪は常に伸び続け、よって君たちは定期的に爪を切らなければならない。そして君達の肉体は常に代謝をしているから、君たちの皮膚は常に生まれ変わっている。君たちの体内の組織も生まれ変わり、古いそれは体外に排出される。だから君達は毎日のように入浴するのだし、排泄するのであろう。

 人々よ。君たちの肉体は常にこのように造りかえられているのであり、決して同一の物質群によって成り立っているわけではない。君たち自身が普段は意識していないだけで、古い細胞は常に新しい細胞に生まれ変わっているのだ。そしてその原料となるのは体外から取り込んだ物、つまりは君たちが取り込んだ食物であるに他ならない。それはつまり鳥や獣の肉であり、また魚の肉であり、植物の根や葉、また果実であるのだ。君たちはそのように他者の肉体――自己以外の生物の死体――を栄養として取り入れ、それを材料に自己の肉体を構成している。それは丁度、一つの波がその発生から終焉までにその水分子の組成を刻々と入れ替えていながら、それでも同一の波という現象として存続しているのと全く同じであるのだ。

 人々よ。このように君たちが確固なものとして拠り所としている肉体、君たちが緊密に結びついていると考える物質としての肉体は、実はそのように移ろいやすい、刻々とその組成を入れ替えている、不安定なものである。君たちの精神は決してそのような肉体を構成する個々の物質と緊密に結びついているとは言えないのであり、その意味から君たちは火や風や波などと同じく、現象であるに違いないのだ」

 マイトレーヤはこう言った。