19  DNAは『私』であるか 

 

 「博士!」と責めるように叫んだのはナッシング・アッシュフィールドだった。マイトレーヤは彼のその声を聞き、博士の言葉が事実であること、そして彼のクローンであるナッシング自身もまたその事実を知らされているのだ、ということを知った。 

 ナッシングの顔は青ざめており、非難するような、どこか懇願するような顔で博士を凝視した。博士はしかしそれを無視し、平気な顔で言った。 

 「マイトレーヤ君、クローンとはどんなものか知っているかね?」

 「想像はつく。クローンとはギリシャ語で「挿し木」を意味する言葉であろう。挿し木とはつまり無性生殖による繁殖に他ならないから、それに拠って得られた個体はすべて親木と同一の遺伝情報を有している。そこから推察するに、無性生殖によって得られた、同一の遺伝情報を有する個体群のことをクローンと呼んでいるのだろう」

 「ああ、概ねその通りだが……。それにしても君は一体、どこでそのような知識を得たのだね?まさか本当に、それだけのことで推測したとも思えないが……」

 「それは前にも言った通り、詮索しない約束だったはずだが。というより君は、私が弥勒菩薩だということは信じていなかったはずだ」

 「ああ、たしかにそうだが……まあいい。では説明する必要もないようだが、一応は説明しておこうか。

 人間、いや生物の細胞には(例外もあるが)『核』という器官があり、そこにはDNA――デオキシリボ核酸――という高分子が含まれている。これは長い紐のような形状をしていて、二本一組の状態で核の中に存在している。その本数は生物によって異なるが人間の場合は二十三組、つまり計四十六本ある。

 この一本のDNAはリン酸と糖でできた長い鎖に、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という四種類の化合物が結合した構造になっている。これはいわば、遺伝情報を記した一冊の分厚い書物のようなものだ。このA、T、G、Cというたったの四文字の組み合わせによって、その人間の遺伝情報が全て記されている。といってもそこに記された文字列の全てに意味があるわけではなく、DNAの配列の一部に人体の形成に何らかの役割を果たす部分があって、その部分のみを遺伝子と呼んでいる。

 では、具体的にどのように遺伝子が機能して、生物の身体を形成するのか?それはシンプルに言うことができる。遺伝子は、タンパク質を作るための設計図の役割を果たしているのだ。なにしろ、生物の身体というのは殆どタンパク質で出来ているわけだから。このA、T、G、Cという四文字の組み合わせを読み取ることによって、我々の肉体はそれに応じたタンパク質を合成する。つまりこの四文字の組み合わせ――塩基配列――が変われば当然ながら合成されるタンパク質やその形状が微妙に変わってくるわけで、これによって例えば病気に罹りやすいか否か、アルコールに強いかどうか……などといった体質の違いが生じるのだ。だからこそDNA(遺伝子)は生物の設計図と呼ばれるのであり、ある人間を他の人間と区別する指標ともなる。つまり人間は人間であることの、「私」が他の人間とは異なる「私」であることの、何よりの根拠となるのだよ」

 「成程、遺伝とはそのような仕組みであったか。……しかしそのことと、君が自分自身のクローンを作成したことには、どのような関係があるのだ」

 これを聞くとアッシュフィールド博士は嘲笑した。

 「これはこれは……。君ともあろう者がわからないというのかね?つまりDNA――この私のDNAがつまり、「私という人間」そのものだということだよ。「私のDNA」が即ち私そのものであり、私というのは即ち「私のDNA」とイコールであるのだ。そして言うまでもなく、私のクローンは私と同じ配列のDNAを有している。……ここまで言えばもう君ならわかるだろう?

 つまり私のクローンも即ち私自身に他ならないのだ

 博士は熱に浮かされたような表情で笑い、若いアッシュフィールド――ナッシングは震え始めた。博士はさらに続けた。

 「マイトレーヤ君――君が言ったように、人間の身体は百年程度で駄目になってしまう。凡人にとってはそれでも十分すぎる時間かもしれないが、私にはそれが到底我慢がならないんだ。

 別に信じてもらおうとも思わんが、私は天才と呼ばれるに足る人間だ。私の構想する仮説を全て実証し、それを実地の技術として実現するためには百年かそこらでは話にもならない、それが若い頃からの私の悩みだったのだよ。ではどうするか?次世代に私の研究を託すか?馬鹿を言え!私は慈善事業で研究をやっているのではないし、人類の福利など私にとってはどうでもいいのだ。私の研究は、私自身で完成させねば意味がない。

 それでは子供でも作るか?これも論外だ。私の子供は、所詮は私自身ではないのだから……少なくとも私にとっては、そうなのだ。何故か?もちろん、私の子供が有するDNAは、私のものとは異なるからだ。

 では、どうすればよいのか?私はどうやって何世代にも渡る私の研究を、私自身の手で完成させることができるのか?……私は悩んだが、実は答えは簡単だったのだ。「私」を造ればいい。「この私」が死んでしまうというなら、私を複製して「新しい私」を造り出せばいい。そうして年老いる度に新たなるクローンを造り、私の研究をその「私」に受け継がせていけば、私は永遠に「存在」し続けることができ、研究を完成させることができる。

 ……もっとも、ことはそう単純ではない。というのは、高等生物の細胞というのは、一生の内に分裂できる回数があらかじめ決まってしまっているからだ。その回数というのは生殖細胞を形成する際にはリセットされるのだが(つまり若返るのだが)、生憎なことに体細胞にはそのリセットは起こらないようになっている。つまり、体細胞由来のクローンの場合、外見が例え若々しく見えてもその細胞は年老いているのさ。だから、そこにいるナッシングは若く見えても余命は私と同程度ということになる。……つまり「こいつ」に私の研究を受け継がせるのは無理と言うことだ。だからこの問題は、「この私」の生が終わるまでに解決しなくてはならない当面の課題なのだよ」

 「勉強になった。しかし博士よ。君の説明を聞いている限りでは、君がいくら自分と同じDNAを有するクローンを造り出したところで君……つまり「今、そこにいる君」の死は免れないのではないのか?君はそれでもいいというのか」

 「もちろんだよ。よくクローン人間などというと「これで不死を実現できる」と考える者がいる。しかしよく話を聞くと、彼等は「自分の意識」をそのままクローンの肉体に宿すことができるなどと勘違いしているのだ。どうしてそんな愚かな勘違いができるかわからんが、おそらく低俗なSF映画でも見て誤解したのだろうな(脳の情報をコピーする装置でも発明されれば少しは違うが、その場合でも元の人間――つまりオリジナル――の意識は元の肉体に留まるのだから)。

 しかし当然ながら私は、そんな愚かな勘違いをしているわけではない。というのは私は、別に死を恐れているわけではないからだ。「私が私の研究を完成させること」、これが私の望みであり、その「私」というのは今話している私ではなく、「私のDNA」を有する人間のことを指すのだ」

 「……成程、手強いな。しかしそれならどうして君は、「彼」を生み出した?ナッシングは君の研究を受け継ぐことができないというならば」

 「一つは、実験のためさ。理論上は可能であっても、本当に成功するかは実際にやってみなければわからないからね。そしてもう一つは、保険ということだ。「この私」が何かの事故で死んでしまうという可能性は常にある。その時に備えて予備の「私」を用意しておくことには十分に意義がある。それに……」

 「それに?」

 「私がなんらかの病気に罹り内臓の移植が必要になった時、その臓器を提供してもらうためさ。なにしろ自分の身体だから、拒絶反応の心配はいらないからね……」

 博士はこともなげにそう言った。マイトレーヤがナッシングの顔を見ると、この哀れな若者の顔からは血の気が失せ、紙のように白くなっていた。博士はまた言った。

 「マイトレーヤ君、君はこうも言っていた。人間はその肉体という物質的要素とは緊密に結びついてはいないのだと。だから人間には実体などというものはない、と。その理由とは、肉体というものは代謝によって生まれ変わるからだということだった。

 しかし、はたしてそうだろうか?「私」の拠り所となる肉体は、本当に「私」と結びついてはいないのだろうか?

 たしかに、人体を構成する物体は新陳代謝によって刻々と置き換わっている。古い細胞は破壊され、新しい細胞に置換される。その新しい細胞を造る材料となるのは、食事によって取り入れた栄養分だと言える。

 だがマイトレーヤ君、そうやって作られた新しい細胞とてその中には細胞核があり、そしてその中にはDNA――古い細胞から複製された「私のDNA」――が含まれているのだ。いわばその新しい細胞にも紛れもなく、この「私」の刻印が打たれている。それはこの私を構成する全ての細胞においてそうなのだ。人間の身体はおよそ六十兆もの細胞で構成されているのだが、その全てに「私」の印が刻まれているということだ。

 君が知っているかどうか知らないが、人間には免疫機能というものがある。これは体内に侵入した細菌やウィルスといった異物を排除するという機能なのだが、これには困った面もある。というのは、必要があって他人の臓器を移植する場合でも、その移植した臓器を異物と認識して、拒否反応を起こしてしまうのさ。つまり我々の肉体自身が、体内の物体を「自分自身」か「そうでない異物」か峻別することができるということだ。

 どうかね?これでも、人間とその肉体(という物質)は緊密に結びついていないのだろうか。「私」が「私」であることの証となるDNAが刻まれていることを以って、生物はその肉体と緊密に結びついているのだよ」

 「面白い。博士よ、それは面白い考えだ。君は私の意見の根拠を否定することなく、君なりの理屈で私の意見を否定して見せた。私は評価しよう。

 しかし残念ながら、私としては君の意見に屈服することはできないのだ。なぜなら君は『DNA=己自身』という理屈に固執する余り、所詮は単なる物質に過ぎないDNAを、過剰に神聖視しているからだ。

 まず博士よ。君は拒否反応とやらを以って自分の肉体と他人の肉体を区別していると述べた。しかしそれは、単なる免疫機能に過ぎない。もしも人間の肉体に、病気を予防するための全く異なった自己防衛機構が発達していたとしたら、それは自身の肉体と他とを別ける決定的な要因とはならなかったであろう。それに博士よ、君は臓器移植の話をしたが、それはつまりこの時代においてはそのような拒否反応があるにも拘わらず他人の臓器の移植が行われていると言うことではないのか?だとすれば成功例というのもあるわけで、移植された人間はその体内に、他人のDNAを含んだ臓器を持っているということになる。しかしその場合のその臓器は、その移植された人間の肉体とは言えないのか?

 更に言おう。君は人間の細胞には全て、自分自身のDNAが含まれているといい、それを自身の刻印であると言った。ところで私は偶然に聞き知っていたのだが、人間の細胞にはミトコンドリアという器官も含まれている。しかしその実、このミトコンドリアというのは遠い以前に外界から、生物の細胞内に取り込まれたものであって、そもそもそれ自身が単独の生物だったのであり、それが共生しているだけだというではないか。それはつまり、ミトコンドリアはミトコンドリアに固有のDNAを持っているということに他ならない。そしてそれはもちろん、その宿主である人間のそれとは異なるのだ。

 博士よ、これはどうしたことだろう?君は細胞には必ず自身のDNAがあり、それが自分が自分であることの刻印であると言う。しかしその細胞には同時に、細胞器官としてのミトコンドリアが無数に含まれているのであり、そのミトコンドリアもまたミトコンドリアDNAを有しているではないか。DNAこそが刻印であるというなら、それでは細胞は一体誰の物なのだ?君か、それともミトコンドリアか。

 博士よ、君も知っての通り(いや、君の方がよほど詳しく知っているのだろうが)DNAというのは所詮は物質に過ぎない。それは何ら神秘的なものではなく、アデニン、チミン、グアニン、シトシンという四種の物質によって構成される物質に過ぎないのだ。だから博士よ、DNAがあるというだけで、人間の細胞が特殊な物体であり、人間と緊密に結びついているということはできないのだ」

 マイトレーヤはこう言った。

 

20  DNAは『私』であるか②

 

 「ふむ。……どうやら旗色が悪い。君の反論を認めよう」

 博士はあっけなく自説を取り下げた。

 「もとより、DNAを有するから細胞は人間と結びついている……などという考えは、昼間の君の話に触発された単なる思い付きに過ぎない。たしかに先の意見については、私はちょっとした神秘主義に足を踏み入れかかっていたようで、恥かしい限りだ。世間には科学者でありながらDNAに神秘を見い出し、DNA自体に意思があるだとか、何者かが設計したに違いないなどと言い出す輩もいて、私はそのような者を軽蔑していたというのに。しかし私はあくまで、DNAは単なる物質だと考えているよ……君と同じくね。

 だが、しかし。それはそれとして、DNAこそが「私」自身であるという私の本来の主張については、私は決して譲るつもりはないよ。なぜならそれは私の信念であるし、いやむしろ私の全てだからだ」

 「信念か。しかし博士よ、君も先程認めた通り、DNAというのは結局は物質に過ぎない。それがいくら複雑で、膨大な情報量を有していたとしても、結局はA、T、G、Cというたった四文字の組み合わせに過ぎないのであるのだ。一体人間とは、「君という人間」は、そのような塩基配列の組み合わせの一つでしかないのか?そうした単なる物体に依って現れる君の精神、君の人格こそが君であるとは思わないか?」

 「いいや、思わないよ、マイトレーヤ君。私を甘く見ないでくれたまえ。そうしたことを考えつくし、あらゆる誤解を除いた上で私は、DNAこそが「私」なのだと言っているのだ。だからこそ「信念」という言葉を用いたのだ。

 成程、君も私も認めるとおり、DNAの正体はアデニン、チミン、グアニン、シトシンという四つの物質の組み合わせに過ぎない。他人と私の違いはその組み合わせが違うというだけで、その使われているところの文字はどんな人間にも――いや人間ばかりか、あらゆる動物や植物、それどころか虫や菌類とすら同じなのだ。

 しかし、それがどうしたというのだね?たしかに使われている文字は変わらない。しかし例えその文字が共通していようと、その組み合わせから生じる文章は無限に近いのだ。そしてその無数の組み合わせの中からたった一つ、私の、私だけの組み合わせがあるのではないか。だとしたら、それを「私」の証であるといって何故悪い?

 先に私が、DNAを本に喩えたことを覚えているだろう。「本」というのは「紙」と、インクに依って印刷された「文字」によってできている。しかし言うまでもなく、「本」の本質はそうした物質的要素なのではない。一冊の本の本質はその文章にあるのであり、その「内容」にあるに違いないのだ。

 そして「本」というものもまた――一つの言語に限って言えば――使用されている文字はどんな本とて変わらない。しかしそれでいて、そのように使用されている文字が同じであるからといって、内容の違う二冊の本を同じものだという馬鹿者はいない。重要なのは本の内容であり、その文字の「組み合わせ」であるのだ。

 だからマイトレーヤ君、私がDNAを以って「私」だと言ったからといって、私が単なる物質としてのDNAに固執しているなどとは思わないでくれたまえ。私が執着するのはあくまで、ATGCという文字の特定の組み合わせに過ぎないのだ」

 「博士よ。私は君の主張を理解した。私は君の見解が正しいことを認めよう。しかしそれを認めながら、私は君の信念を覆すべく、できるかぎり説得することにしよう」

 「ほう。しかし、何のために?」

 「友のために。私の友が、君の信念を認めていない故に」

 「友?友だって?一体全体、それは誰のことなのだね」

 「君の息子であり、クローンであるナッシング・アッシュフィールドのことだ。私は彼を、「君」ではなく「彼」を、私の友と認めたのだ」

 これを聞くと、絶望に沈んでいたナッシング・アッシュフィールドは信じられないと言う顔で彼を見た。マイトレーヤは微笑を浮かべて彼に言った。

 「聞いての通りだ。私は君を、私の友としたい。君も、私を友と認めてくれるだろうか?」

 「は……はい、もちろんです!僕なんかでよければ……」

 未だ信じられないという顔で、それでも懸命に、縋るようにナッシング・アッシュフィールドは言った。マイトレーヤは苦笑して言った。

 「もう友人となったのだから、敬語は止めてくれないか。私は君をナッシュと呼ぼう。だから君も気安く、私をマイトレーヤと呼んでくれ」

 「は……はい」

 「……これは驚いた」そう言ったのは博士だった。彼は物珍しげに、まじまじとマイトレーヤの顔を眺めて言った。

 「なんとも喜ばしいことだ。君が「私」を友人と認めてくれるとは」

 「残念ながら博士よ、私は博愛主義者ではない。私が友と認めたのはナッシュだけだ、君ではない」

 「しかしマイトレーヤ君、「彼」は「私」なのだよ」

 「博士よ。君はナッシュを「自分」だと言うが、私は――そしてナッシュも――それを認めてはいない。私はDNAを――その配列を――その個人の自己同一性の根拠とは認めていないからだ。

 博士よ、そしてナッシュよ、聞け。私はナッシュを友と認めた。それは理由がないことではない。また、決して同情でもない。私が彼を友と認めたのは、彼が苦悩を知る魂であるとわかったからだ。苦悩と向き合い、それと真摯に戦い、乗り越えようとしているからだ。だから私はナッシュを認め、友となりたいと思ったのだ。

 対して博士よ、君は苦悩していない。それどころか、君の信念は私の友にとっての苦悩の原因となっている。だから私は、君の説得を試みるのだ」

 「ほう、面白い。それではやってみたまえ」

 「そうさせてもらおう。博士よ、君の主張するところに依れば、DNAの配列がその人物をその人物たらしめているとのことだった。故にDNAが同じであるから、君のクローンは全て同一人物だと言えるのだと君は言った。

 ところで、クローンなどと言うと大仰に聞えるが、クローンは実は珍しいものではない。人為的にそれを行う技術は近年の技術の進歩で可能になったのだが、クローンという現象そのものはずっと昔から、しかも自然界において生じていたのだ。たとえばアリやハチの雄は全て、無性生殖によって生じる。つまり、ある集団のアリやハチの雄は全て同一の遺伝子を有するクローンなのだ。クローンの語源である挿し木もまたそうだ。この国のサクラの樹の殆どはソメイヨシノという品種だそうだが、この美しい花を咲かせる木もまた挿し木に拠って増えたものであり、つまりはクローンに他ならない。

 これらは人間以外の生物だが、しかしニンゲンという種においてもクローンは昔から自然に発生している。一卵性の双生児、或いは三つ子でもいいが四つ子でもいいが、とにかくこれらの赤子は一つの受精卵が分裂し、そのそれぞれが一人の人間として成長したものだ。よって当然ながら、彼等は同一のDNAを有している。だから外見で区別することは困難なほど瓜二つで、性格も似通っていることが多い。

 しかし、そのように同一の遺伝情報を有しているからといって、双子を同一人物であると見なすことはしない。それは親や家族といった周囲の人間もそうだし、社会制度もそのように扱うし、また本人もそうである。彼等はそれぞれの独自の人格を発達させ、そして自分の――他の誰とも異なる――アイデンティティを持つに到るのだ。

 博士よ。君とナッシュは確かに同一のDNAを有しているのかもしれない。しかし君たち二人が別々の人間として独立していることは、双子のそれぞれが固有の自我を確立するのと変わらない。いや君達は年齢も違い、育った境遇も異なり、社会的立場も異なり、その外見さえもが現在はかけ離れている。つまりこれらの点で君達は、普通の双生児よりも共通点がないと言えるのだ。だから君達は別々の人間だ」

 「たしかに君の言うとおりだ。世間の連中は、双子を別々の人間として扱う。同じ日に生まれながら兄と弟、あるいは姉と妹として区別し、それぞれに別の名前を付ける。それが社会通念上求められる。それは社会の制度として必要であるからだ。

 しかし私の意見では、そんなものは世間の連中の認識が間違っているのだ。彼等は謝った先入観に囚われ、ただ慣習の命ずるまま、また便宜のために、二人を別々の人間として扱う。そして本人達にもそのように振舞うように強制する。その結果、本人達もまた周囲の要求通り、双子の片割れを「他者」として認識してしまうのだ。

 私にいわせれば、一卵性の双生児は紛れもなく、同一人物だよ。それは誰が言おうとも揺るがない、たとえ本人達がどう考えていようとそうなのだ。なぜなら、他ならぬ私がそう思うからだ。それを他人がおかしいというのは勝手だが、それは見解の相違というものさ」

 「博士よ。それは残念ながらその通りである。しかし見解の相違と言ってしまえば、そもそも議論の余地がなくなってしまう。そこで提案だが、一つ君がそのような独特の見解に到った理由を聞かせてはくれないか」

 「私がかね?しかし、それは理屈が通らないのではないかね。なにしろ君たちが私を説得したいのであって、こちらとしては別に君たちに意見を認めてもらいたいと欲しているわけではないのだから。……しかし、まあ「私」の友人のせっかくの頼みなのだから、やってみるとしようか。

 先に言っておくが、DNAの特定の配列こそがその人間の自己同一性の唯一の根拠であるという私の見解が、一般人のそれとはかなり異なっていることは、私自身も重々承知している。まあそもそも一般人というのはDNAとか遺伝子という単語についてはまあ知っていても、その具体的な仕組みまでは理解していないようだがね。まあその点、君達は十分な知識を有しているようだが、それでも私からすれば常識に囚われている。そこで、常人にも納得できそうな理屈を使って私は語ることにしよう。

 さて。常識に囚われた一般人が、「自分」が「自分」であることの根拠を求められた場合、何と答えるだろうか?……まあ実際に聞いたことはないが、それはおそらく「精神」とか「心」とか、或いは「魂」であると言うのではないかな。まあ表現は様々だろうが、つまりは「精神」ということだ。

 ところで、この「精神」というのも実は、遺伝的素養によって規定されるのだということを知っていたかね?……そう、身長や体質といった肉体的な素養ばかりではなく、人間の精神もまた遺伝に拠って決まるのだ。人間の精神は自由などと言われるが、実はそうではないのだ――少なくとも、遺伝的にはね。

 「精神」というものはよく「肉体」と対置される。しかしそうはいっても、精神が肉体を抜きにしては発生し得ないのは誰もが知っている。そして、そのように精神を成り立たせている部位がどこかと言えば、言うまでもなく脳だ。脳と言う「物体」が、物質ではない精神を規定している。脳内物質の分泌が人間の感情に影響を及ぼすことは研究によって証明された厳正たる事実だ。投薬によって精神疾患が改善することからみても、これは厳然たる事実なのだ。

 そして、この脳内物質――神経伝達物質――の分泌にも、遺伝子が関与している。

 例えば、世の中には好奇心が弱く変化を好まない保守的な人間と、好奇心が強く変化を恐れない革新的な人間がいる。後者のような性格を新奇探索傾向と呼ぶが、これにはドーパミンという神経伝達物質が関与している。

 イスラエルのリチャード・エプスタイン博士の証したところでは、人間の第十一番染色体に、人によって配列の異なる遺伝子がある。これは、ドーパミンの伝達に関わるドーパミン第4レセプター(受容体)を形成する遺伝子なのだが、その配列の微妙な違いによってドーパミン第4レセプターの形状が異なるのだ。するとどうなるかというと、その微妙な形状の違いがドーパミンの作用にも違いを与え、その人間の新奇探索傾向の強弱となって――つまり性格の違いとなって――現れるのだ。

 また、同じく脳内の神経伝達物質としてセロトニンというのがある。これはドーパミンとは異なり、人間の感じる不安感を鎮める働きをする。そしてもちろん、このセロトニンの働きにも遺伝子が関与している。

 セロトニンの伝達にはシナプスのセロトニントランスポーターという器官が関わるのだが、このセロトニントランスポーターの数が第十七番染色体にある遺伝子の配列に拠って異なることがアメリカ国立衛生研究所のディーン・ヘイマー博士の研究によってわかった。そして、このセロトニントランスポーターの数が多ければ不安を感じにくく楽観的な性格になり、その数が少なければ不安を感じやすく、いわば神経質になりやすいということだ。ちなみに、日本人の殆どがこの後者のタイプの遺伝子を有しているという。つまり、日本人が真面目でおとなしいという誰もが知っている常識を、遺伝子が証明しているというわけだ。

 さて、どうだね?保守的か革新的か、楽観的か悲観的か。こうした性格の違いと言うのはその人間の個性であり、その人間を特徴付ける性格の一部に他ならない。それはいわば、アイデンティティの源である精神を、遺伝子が決定することの証明なのだ。それに言っておくがこんなものはほんの一部に過ぎず、似たような遺伝子はこれからも次から次へと発見されるにちがいないのだよ。

 そもそも、人間の精神というものは脳の活動の産物に他ならない。心というものは結局のところ、脳内の電気信号に他ならないのだから。この電気信号を解読することで、いずれ我々は人間の精神を解明することができるだろう。

 たとえば、ネズミの脳に電極を埋め込むことで、そのネズミの行動をコントロールすることができる。「歩け」という指令を与えればその通りに歩くし、「右に曲がれ」と指令を与えれば右に曲がる。もちろん現在では人間相手にこんな実験をおおっぴらにやるわけにはいかないが、人間でも同じことができるに違いないよ。……実際、人間の脳内の電気信号を読み取ることで、その人間の思い通りに動く義手や義足を開発しようとしているらしいからね。

 どうかね、マイトレーヤ君。多くの人間が自己同一性の根源として認める「心」、精神とはしかし要するに脳の産物であり、脳内の電気信号であることは明らかだ(そういえば君は人間の脳内の電気信号を操作して幻覚を見せることができると言っていたね)。そしてその脳を造り上げるのは、そう、遺伝子なのだ。DNAの塩基配列に他ならないのだ。そう考えてみれば、精神に「私」が「私」であることの根拠を求めるということは、即ちDNAの配列にその根拠を求めることと同義であると言えるのだ。

 さて、これなら君も納得してくれるだろうね?」

 しかしマイトレーヤは首を振った

 「いいや、そうではない」

 「何だって?では君は、精神が「私」の根拠ではないというのかね。あれほどに徹底して、物質を否定していた君が?」

 「いいや、そうではない。人間の自己同一性の根拠が精神にあるということは、とりあえず認めておこう(あくまでとりあえず、だが)。私が認めないというのは、「精神が脳の産物である」という君の主張だ。

 博士よ。君は人間の思考が脳内の電気信号であることを、あの哀れなネズミの話によって論じてみせた。その話を信じるならば、人間が「右腕を動かす」というのもやはり、脳内の電気信号による命令以外の何者でもないのであろう。それは恐らく、人間の脳には四肢の特定の部分に対して指令を送る部分があり、そこに電気刺激を与えるという仕組みであろう」

 「ああ、その通りだろう」

 「博士の話に拠れば、この実験は以下のようになるだろう。まず学者が被験者の脳に電極を取り付ける――右腕の運動を司る部位に。そして実験においては、実験に伴う科学者なりその助手なりが機器を操作して、被験者の脳に電気信号を与える。……すると、被験者の右腕がその通りに、本人の意思には一切関わりなく、動くという寸法だ」

 「そうだろうな」

 「それならば、博士よ。被験者の脳に「右腕を動かせ」という命令を下したのは、実験を行った科学者だということになる。彼が「命令を下す」という意思の下に命令を発し、その命令が最終的に被験者の右腕を動かしたということだ。

 さてこれは実験という特殊な状況の話だが、普通はもちろんそんな過程はおこらない。しかし命令を下す人間が違うだけで、右腕を動かすシステムは同じだ。脳のその部位に電気信号が送られ、それが右腕に伝わって、その結果として右腕が動くのだ。

 しかしもちろん、こうした一連の動きが偶然によって生じるわけはない。脳のこの部位に電気信号を送らなければ、右腕は動かないのだから。……しかし、それならば一体、「誰が」それを意図し、命令を発したのだ?この部位に電気信号を送ったのは、誰なのだ?

 実験の際には、その命令を発したのは科学者であった。しかし、実験でなければ当然、科学者などはいない。では、誰がそれを命じたのだ?

 ……そう。それはもちろん、その右腕を、そして脳を所有する本人なのだ。その人間がまず「右腕を動かそう」という意思を起こし、その結果として脳のこの部位に電気信号が伝わり、最終的に右腕が動くのだ。 

 私は今このように話したが、実情はもっと複雑であろう。しかし私の考えでは、人間の思考の働きがどれほど複雑であろうと、その根底には必ずや「何者か」の意志が介在しているはずだ。そしてその「何者か」こそが「心」であり、即ち「私」に他ならないのだ。

 脳内の電気信号を読み取って、それにより人間の思考を読み取ることはできるかもしれない。思考と肉体は不可思議な関係によって連動しているからだ。……しかしだからといって、人間の精神の全てを単なる電気信号に還元するのは、拙速というものだ。

 また、脳内物質がその人間の性格に関与するという君の主張を、私は疑わない。それは確かな事実であるのだろう。しかしそれは、脳と精神が不可分の関係にあるというだけに過ぎず、脳が人間の性格を「決定する」わけではないと私は推測する。

 君の言うように、ドーパミン第4レセプターの構造の違いによって新奇探索傾向とやらに差が出るということも私は疑わない。セロトニントランスポーターの数の差によって楽観的な人間になるかどうか決まる、というのも、また事実であろう。そして君の言うとおり、それは確かに人間の性格の一端である。

 しかしながら、それは出発点ということに過ぎないのだ。新奇探索傾向の強い人々は、きっと誰もが同じように様々なことに興味を抱くのであろう。しかし、例えばスポーツに彼らが興味を持ったとして、彼等の誰もが同じスポーツに挑戦するだろうか?また、仮に同じスポーツを選択したところで、同じ興奮を、同じ感慨を抱くのであろうか?いいや、これは明らかにそうではない。

 例えば、乙は野球を、甲はバスケットボールを選択したとする。この時、彼らがその協議を選択した理由は何であろうか?それには、遺伝的要因とそうでない要因がある。身長や体重といった要因は遺伝的要因である。しかし、例えば仲のよい友人が野球をやっているとか、TVプログラムでプロバスケットボールの試合を目にして憧れたから、という理由は遺伝的要因ではない。それは、後天的な要因なのだ。

 新奇探索傾向の強い者は、興味の赴くままに頻繁に職や趣味を変えると君は言う。しかし同一の型の遺伝子を有する人間であっても、経済的に余裕がない者は転職というリスクには踏み出さないであろう。またセロトニントランスポーターの数が少ない人々がいて同じ危難に陥ったとして、ある者は絶望するであろうし、ある者はそれに耐えるであろう。……それは彼らの置かれた環境なり、積み重ねた過去の蓄積なりによって異なるのだ。

 博士よ。確かに脳――そしてその脳を形成する遺伝子は、人間の精神の働きに影響を及ぼす。しかしそれは、人間の性格のほんの一部に過ぎず、いわば出発点というのに過ぎないのだ。

 あるいは別の言い方をすれば、それは「傾向」ということに過ぎない。その傾向を出発点として、人間は経験を積み、その人間に固有の人格を形成してゆく。様々な人間に出逢い、様々な出来事に直面し、様々な経験を経て、様々な知識を得て、自分なりの世界観なり、人間観なり、価値観なりを形成するのだ。他の誰でもない、自分だけの信念を抱くのだ。

 ありふれた言葉になるが、あえて言おう。人間は生まれによってのみ決まるのではない。生まれつきの境遇とか遺伝的要因のみではなく、その後の経験に拠って、人間は如何様にもなれるのだ。

 博士よ。だからナッシング・アッシュフィールドという人間は断じて君と同じではない。君たちの生活環境の相違点を私はしらないから、それについては触れないことにしよう。しかし少なくとも、一つだけ君たち二人について異なる点、それも決定的に異なる点を私は指摘することができる」

 「ほう……。一体何かね?」

 「それは、君が誰かのクローンではないのに対し、ナッシュは「己が君のクローンである」と知っているということだ。そして私の見るところ、この残酷なる事実は彼の人格形成に、その価値観世界観に、甚大なる影響を及ぼしている。彼は苦悩している。それは、君が馬鹿にする哲学という非実用的な学問に、彼が救いを求めていることと無関係ではあるまい。

 どうだろう、博士よ。私の主張を認めてくれるだろうか?」

 「ふむ……。しかしそれは、人間の精神と脳の関係性が明らかではない今、決着のつかない問題ではないかね?」

 「その通りだ。しかしそれはつまり、君もまた自説の正しさを絶対のものとはし得ないということだ。そうではないか?」

 「……認めよう。たしかに、脳内の電気信号を読み取ることができるようになったとしても、脳→精神という一方的な図式が成り立つわけではないようだ。いや実際、私としてもそのような脳内過程を突き詰めていけば、どうしても「心」というものに行き着くような気がするよ。遺伝子のみが性格を決定するのではないということもまた、反論はできないだろう」

 「では博士よ。DNAが同じであるから、ナッシュもまた君だという君の主張を撤回してくれるだろうか?」

 「認める……と言いたいところだがね。しかしマイトレーヤ君、私は自説を撤回するつもりはないよ」

 「そんな!」

 博士とマイトレーヤは同時に振り向いた。その言葉を叫んだのは、それまでずっと沈黙を守っていたナッシング・アッシュフィールドだったからである。彼はマイトレーヤの言葉を聞いている内に次第にその表情に希望の色を浮かべ始め、その最後にはマイトレーヤの正しさを確信するに到り、喜びを感じ始めていたのだった。しかしそれを否定され、つい声を上げたのだった。

 「あんたは何を言っているんだ。たった今ミロク様の仰ったことを正しいと認めておきながら、今度はそれを否定するなんて。あんたの言っていることは支離滅裂じゃないか」

 「ほう……。まさかお前が、この私に口答えをするとはな。彼の言葉に力を得たというわけか?

 しかしナッシング、お前は勘違いをしている。たしかに私は、彼の主張には一理あると認めた。人間の精神が遺伝によって全て決定すると言ったのは――少なくとも現在の段階では――私の早計であったようだ。

 しかしながら。それはそれとして、私はDNAこそが「私が私たる所以」であるという信念、つまりは私と同一の遺伝子を有するお前もまた「私自身」に他ならないという私の信念を撤回する理由には足らないのだよ」

 「だから……ど、どうして!」

 「何故なら、『人間の精神は遺伝子が決める』という命題については真偽の判断が着けられるとしても、「私のDNAを有する者は私自身であると信じる」ということは、真偽による決着がつけられないからだよ。というのもこれは事実に関する命題ではなく、私の個人的な信念の問題であるからだ。

 例を挙げよう。『他人を殺すことは殺人罪に当る』というのは真偽の判定が可能だ。それは事実についての言明で、刑法にそのような規定があるかどうか調べることで判定できる。

 これに対して、「人を殺すことはいけないことだ」というのはというのは判定ができない。なぜならこれは事実かどうかの問題ではなく、各個人の抱く価値観の問題、信念の問題だからだ。「『真珠の首飾りの少女』がフェルメールの作品であるか」というのも事実についての問題だが、「フェルメールの作品はピカソの作品より優れているか」という問題は各個人の美的趣味、つまり価値観の問題だ。

 ナッシングよ。私は私の意見については、それが私の「信念」であると最初に言明しておいた。マイトレーヤ君はそれを理解し、それを踏まえた上で、私の信念を覆そうと試みていたのだ。我々二人ともそれを承知の上で話していたのだが、お前一人が取り残され、事態を正しく把握していなかったのだ」

 「たしかにその通りだ。しかし博士よ、それ位にしておいてもらおう。それより、どうやら私は君の信念を覆すことは叶わなかったようだが、少なくとも君の信念を成り立たせる理由の一つを崩すことはできたのだ。であれば、君はまた別の理由を説明する義務があるのではないか?」

 「いいだろう。では君の先の主張を認めた上で、また私の見解を述べよう。

 たしかに君の言うとおり、DNAというものは精神を完全に規定してしまうという訳ではないようだ。それは出発点というに過ぎず、性格に関する同一の型の遺伝子を有する人間であっても、その性格は微妙に異なる。現に、この私とクローンであるナッシングの性格は、現在ではかなり異なったものとなっている。

 しかし逆に言うこともできるのではないか?マイトレーヤ君、君の言葉を借りるとすれば、少なくとも出発点は同じだと言えるではないか。生まれながらに備わった素養は同じで、ただ後天的な環境の差によって、様々な違いが生じる。

 ……であれば、このようにも言うことはできる筈だ。ナッシングは――「この私」とは別の人格を形成した「私」は――、私と言う人間の可能性の一つなのだ、と」

 「何だって?」

 「例えば、私は1958年に産まれた。私は裕福な家庭で育ち、大学に進んで分子生物学を学んだ。そのまま研究室に残り、そこで生命の神秘に関心を抱き、遺伝子工学の研究を始めた。そして独自の研究を元に、違法であることを知りながら、独自の信念を以って自らのクローンを作成した。

 それに対し、ナッシング・アッシュフィールドは私と同一のDNAを有するが、育った環境はかなり異なる。「彼」は1992年に産まれた。「彼」は大学教授である私の息子として成長した。しかし十歳の時、自分が父親だと信じていた人物――即ち私のことだが――のクローンであることを知らされた。「彼」はショックを受け、その秘密を抱え込み位青春時代を送り、何を思ってか哲学に興味を抱いてしまった。

 このように、同一のDNAを有していても私とナッシングの人生は大いに異なる。私は誰かのクローンではないし、暗い青春時代を送った訳でもない。なにより、私は哲学などにさしたる興味はない。これを以って、私とナッシングの二人を違う人間だと判断することもできるだろう。しかし、繰り返すが私はそうは思わない。

 もしも私が、「彼」ではなくこの私が、「彼」と同じ境遇だったらどうだろう?1992年に生まれ、全く同じ出来事を経験し、自分がクローンであると明かされたとしたら?……きっと私は「彼」と同じく、暗い青春時代を送り、哲学に興味を抱いていただろう。何故なら「この私」もまた、「彼」と同じDNAを有しているからだ。それは性格の傾向が、出発点が同じであるからだ。

 こう考えてみれば、「彼」は私が選択しなかった道に進んだ、無数の選択肢の内の一つを具現化した人間であるということもできる。「彼」はたしかに私そのものではないかもしれない。……けれど同時に、「私」でもあるのだよ」

 「滅茶苦茶だ!」

 ナッシングは叫んだ。「そんなおかしな理屈があるもんか!」

 「別に理解してもらわずとも構わんよ。これは理屈ではなく、私の信念なのだと言ったはずだ。そして私がこのような信念を抱く以上、他人が何を言おうと、私にとって「お前」は「私」なのだ。それは、誰にも否定できるものではない。

 まあそうは言っても、お前自身がそれを認めてくれるに越したことはないがな。私が欲しいのは私の研究を受け継いでくれる「私」なのだから。このままでは遠からず、私はまた新しい「私」を造らなければならないからな」

 ナッシングの顔がさっと青ざめた。マイトレーヤは言った。

 「博士よ、それでは最後に一つだけ言わせてくれ。君は己のDNAの配列こそが君の君たる所以であると言った。しかし、そのような塩基配列がはたして君自身であると言えるだろうか?

 現実に可能であるかは置いて、純粋なる思考実験として考えてみてほしい。ここに、君とは全く血縁関係にない赤の他人の受精卵があるとする。もちろん、その塩基配列は君とは大いに異なっている。

 ところで、遺伝子の組み換えは既に行われているとのことだったが、もしも画期的な新技術が開発されて、この受精卵のDNAの配列を全て書き換えることができるとする。

 では仮に、この君にとっては赤の他人である男女の間に産まれた受精卵のDNAを、君と全く同じ配列に置き換えてしまったとしたらどうであろう?現実的にはとにかく、それは理論上は可能である筈だ。何故ならDNAを構成する四つの文字は誰にでも共通なのだから。

 どうだろう、博士よ?この、元は赤の他人である受精卵、しかしそれでいて君と全く同じ塩基配列のDNAを有するこの受精卵は、はたして「君」であろうか?君と言う人間の「遺伝的情報」という点から見れば(君の主張からすれば)この奇妙な受精卵も当然に君だと言うことになるのだが?」

 これを聞くとナッシングは僅かに期待した。マイトレーヤの言い分は至極もっともに聞えたので、今度こそ狂える博士は自説を固持し得ないのではないかと思えたのだ。はたして珍しく殊勝げな顔を作って博士は言った。

 「……なかなか面白い問題だ。これはさすがに、私の方が分が悪い」

 しかし博士は表情を一変させ、嘲るような顔を浮かべた。

 「――などと大抵の者は言うのだろうがね。しかし私はそうではないそれは。けっして、赤の他人などではない」

 ナッシングは驚愕し目を見開いた。対してマイトレーヤは諦めたように首を振っただけだった。

 「やはり駄目か。こうなると、私にはもう打つ手はない」

 「落胆することはないさ、マイトレーヤ君。この議論に勝敗をつけるとしたら、観客は誰もが君の勝利だというだろう。君の主張には説得力があるのに対し、私のそれは万人の共感し得るものではないからだ。なにしろ私の主張は、子供のわがままのようなものだからね。しかしそれでも、私は私の信念をどこまでも貫くつもりだが」

 「……何が信念だ」

 耐えかねてそう言ったのはナッシングだった。

 「あんたのそれは信念なんて立派なものじゃない。妄信だ、いや狂信だ!」

 「なんとでも言うがいい。私は確かに狂っているのかもしれない。少なくとも私の信念は狂的だ。しかし、だからこそ決して揺るがないのだ」

 「あんたは、神が恐ろしくはないのか?自分のクローンを造るなんて、神をも恐れぬ行為だと、罰が下るとは思わないのか?」

 「神、だって?バカバカしい!私は神なんて信じないよ……マイトレーヤ君には悪いがね。神が実在するかどうかなんて、神学上はよく議論されたそうだが、私に言わせれば全く無駄な努力だよ。神は理性では、論理では証明できない。また、実在しないということも証明できない。だったら、考えるだけ無駄だ。昔聞いたことがあるが、こういう考え方は無神論ではなく、不可知論というそうだな。……いやなに、私とて、「神」について全く考えたことがないというわけではないのさ。

 というのも科学者の中にも――私の同僚にも――神の実在を信じている連中が少なからずいるからだ。あろうことか、以前は無神論者だったというのに、遺伝子について研究している内に神を信じるようになったという者さえいる。このように言語を絶するほどに複雑な仕組みが偶然にできあがる筈がない――つまりは「誰かが」設計したに違いない、とね。

 私はそのような彼らの主張を聞いて、人面岩を思い出したよ。マイトレーヤ君は知っているかね?私もくわしくは知らないが、火星のどこかにまるで人間の顔のような形の岩があるそうなんだ。それを見て、一部の馬鹿者が騒ぎ出した。『こんなものが自然にできる筈がない。しかし人間はまだ火星には行っていない。ということはあの岩は火星人が彫ったのに違いない!』などと言ってね。

 いや、別に私は彼らを馬鹿にしているわけではない。人面岩なるものを映像ではっきり見たこともないが、ひょっとしたらそう考えてしまうのも当然な位、精巧なものかもしれない。

 しかしこの岩が誰かの彫ったものか、それとも偶然にそのように見えるだけか、というのは、地上から見ている限りでは答えなど出ない。それは各個人が判断することだ。どれだけ精巧であれば人工物と認められるか、それには合理的な答えなどなく、それを見る者の信じやすさによって違う。ある者は子供の粘土遊び程度のものでも人工物だと信じるだろう。逆にある者は、それがアメリカの自由の女神像のようであっても、それが人為によるものだとは信じないことだろう。どちらが非合理的な態度というわけでもない。どちらが正しく、どちらが間違っているという問題ではないのだ。

 そして私は、もちろん後者の側に属する。私はDNAが精巧であるという理由で、それが神の設計したものであるなどとは信じない。いや信ずることがあったとしても、それを最後の最後まで疑う人々の内の一人であるだろう。

 ……おや、もう七時か。すっかり話し込んでしまった。私は研究所の方に顔を出さなければならない。そろそろ失礼させてもらうよ。

 マイトレーヤ君。君は隣の、院生の研究室を使ってくれ。番号はナッシングが知っている。そうだな、ナッシング」

 ナッシングは再び心を閉ざしつつあったが、黙って頷いた。三人は部屋を出た。マイトレーヤは扉に施錠する博士に向けて、最後に言った。

 「博士よ。君は神の実在は論証できないと言った。また、神の非在もまた論証できないと言った。君は神の問題については何事も信じない、それは神は論理では証明できないからだと言った」

 「いかにもその通りだ」

 「君は神については論理では証明できないという。しかし、それはおかしな理屈なのだ。神は論理では証明できないと、どうして君にわかるのだ?

 君が思い付かないだけで、これまでの誰も思い到らないというだけで、論理によって神を証明することができるかもしれないではないか?ひょっとしたらいつか真の天才が現れて、それまで誰も考えもしなかったエキセントリックな方法で神の実在を論証するかもしれない。つまり君は、自分が思い付かないというだけの理由で、それを不可能だと思い込んでしまっただけではないのか」

 「……何が言いたいのだね?」

 「君は何も信じないという。しかし君は、『神は論理に拠っては証明できない』と信じているのだ。そして、覚えておくがいい。信念というものは単なる理屈に依っては揺るぎにくい。しかしどれほどの堅固な信念も、現実の思いがけぬ体験によってあっけなく覆ることがあるということを」

 博士はマイトレーヤの顔をまじまじと見た。

 「覚えておこう。ところで、ひょっとして君なら神の存在証明ができるのではないかね?」

 マイトレーヤは不敵な笑みを浮かべた。

 「できると言ったら?」

 二人は暫らく目と目を見交わせていた。やがて博士は肩を竦めてみせると、手を後ろ手に振りながら、踵を返して去っていった。

 

21  懐疑論者の採るべき三つの道について 

 

 マイトレーヤは博士の勧めてくれた部屋には結局入ることはなかった。博士の言葉にショックを受けたナッシング・アッシュフィールドが、その部屋に入ることを拒絶したからである。マイトレーヤは一人でその部屋に入ることも出来たのだが、この新しい友人の精神状態が気がかりでもあり、もっと彼と語り合いたいとも思っていたので、結局二人で同じ建物の五階にある、ナッシュの所属する研究室に移動したのであった。

 部屋は広くはなかった。左右の壁に向かって机が隙間なく並べられていて、正面の壁には窓が一つだけあった。左右に並んだ机と机の間が通路になっているが、二人並ぶのがやっとという狭さである。壁には棚が据え付けられていて、文書や学術雑誌、そして書籍でほぼ埋まっている。

 ナッシングによれば、この部屋は哲学系の幾つかの研究室が共同で使用しているとのことで、普段なら遅くまで人が残っていて、泊まっていく者もいるという。しかしこの日は例の事件のために誰も来ないであろうから、好きに使ってくれて構わないとのことだった。

 そのように言葉少なに説明したナッシングはと言えば部屋の暖房だけ入れると、入り口脇に据えられたソファーに沈んだ。マイトレーヤはしばらくは棚に並んだ文献の書名を興味深く眺めていたが、頃合を見計らって彼の正面に座り話しかけた。

 「君が哲学を研究しようと思ったのは、君の生まれのことがあったからなのだな」

 「……その通りです」

 ナッシュは顔を上げた。その顔は哀れなほど憔悴していた。

 「僕は親の愛情というものを全く知らずに育ちました。父――いえ、その頃はそう思っていたのですが、とにかくあいつは研究ばかりで家に寄り付かなかったし、僕はベビーシッターに育てられたようなものです。

 母――おそらく代理出産のようなものだったのでしょうが――は僕が産まれてすぐに死んだと聞かされていたので元々特に思いいれなどなかったのですが、父親、には不満を持っていました。そもそもほとんど家にいないし、たまに顔を合わせても父親らしい振る舞いはまるでなかったので。

 十二歳の頃でしたが、僕はあいつにそうした不満をぶつけました。そして知らされたのです。僕はあいつの息子ではなく、クローンであり、母親と呼べるような人間などいないということを。……事実を信じようとしない僕に、あいつはその証拠となる記録を様々に持ち出してきて、どのようなおぞましく信じ難い手段を使って自分のクローンを造り、それを自分の息子として社会に認めさせたか、懇切丁寧に説明したのです。……そう、あいつは以前から、その機会を窺っていたのです。クローンであるという事実を教えることで、「僕」が「僕」ではなく「あいつ」だという自覚を植えつけるために……。

 それでも僕は最初、それを頑なに信じようとはしませんでした。いえ、信じたくなかったのです。頭では、本当はもうわかっていたのです。だってそれなら色んなことが――あいつが時々僕のことを、まるで実験動物でも見るような目で観察していた理由が――腑に落ちるからです。

 そうしてようやく事実を受け止めた後は、……絶望しました。当時はまだ正確に事態を理解していたとは言えませんが、それでも何か、自分にとって「大切な何か」が失われてしまったことはわかりました。「それ」は、それが何なのかわからないまま、僕の元から永久に失われてしまったのでした(それは恐らく「自分」だったのでしょうが。

 それ以来、僕にとって世界はまるで変わってしまいました。それまで確かだと思っていたものが、まるで信じられなくなったのでした。僕は「自分自身」を、それまで何よりも確かだと思っていた自分と言う存在、僕にとっては世界の中心でもある僕自身を、一夜にして失ったのですから。もしも、この世界全てが実は夢だったとしても、何の不思議があるでしょう?

 それ以来、僕は奇妙な夢に悩まされるようになりました。夢の中で、僕はいつものように学校に行きます。いつもの教室に入り、顔見知りのクラスメートに話しかけます。すると、相手はおかしな顔をして言うのです。お前は誰だ、と……。

 僕は相手が冗談を言っているのだと思い、変な冗談はやめろと言います。すると相手は気味悪そうに私を見るのです。周りのクラスメートも、誰もが僕を遠巻きにして見ています。すると先生がやってきます。その先生はユーモアのなる男の先生で、クラス全員にとっての父親のような存在だったのですが、でもその先生も昨日とは別人のような冷たい顔で、こう言います。「お前は誰だ?」

 僕はいたたまれなくなって教室を飛び出し、走って家に帰ります。その頃の僕はいつも鍵を持っているのですが、夢の中ではどうしてか持っていません。仕方なくチャイムを押すと、子供の頃のベビーシッターが開けてくれます。そして言うのです。「貴方は誰なの?」……と。僕は悲しくなり、それでも懸命に、自分がこの家の子供であると訴えます。けれど彼女はまるで聞く耳をもたずこう言うのです。「貴方がナッシングですって?嘘おっしゃい!そんなに言うなら自分で確かめてご覧!」そして彼女は鏡を差し出してきます。僕はそれを覗き――いつもそこで、飛び起きるのです。叫び声を上げながら……。

 …………。

 ……そんな夢を見るようになってから、僕は他人とうまく付き合うことができなくなりました。あの忌まわしい夢のように、話しかけて奇妙な顔をされたら……と、つい考えてしまうのです。そうでなくとも自分のことで塞ぎこんでいたので、僕はあっというまに一人になってしまいました。けれど、却ってその方が気が休まるくらいでした。

 僕は本を読むようになりました。一体自分と言う人間が何者なのか、知りたかったからです。遺伝子についての本も繰り返し読みました。小説も手に取りました。……どこかに、自分と同じような登場人物がいないかと思って。けれど、僕のような悩みを抱えている登場人物はほとんどいませんでした。SF映画や小説を見るようにもなりましたが、満足できるものには出会えなかったのです。

 そうした回り道を経た後で、僕は哲学に出会いました。というのは、それまではなんとなく縁遠いものに感じていたのです――なにしろそれは、当たり前の人達による当たり前の人達のためのもので、こんなにもおかしな僕という人間には当てはまらないのではないか、と思えたので。けれど試しに読んで……興奮しました。今まで自分なりに考えたり、本を読んで漠然と感じていたけれど言葉にならなかった色々なことが、そこに文字になって記されていたからです。世界のこと、人間のこと、「自分」のこと……それは単なる入門書の類でしたが。それでもひょっとしたらどこかに、僕の苦しみを消してくれる、僕の欲する「答え」があるかもしれない、と思えたのです。それで僕は「あいつ」に黙って、大学の哲学科に進んだのです」

 「それで、答えというのは見つかったのかね?」

 「……駄目でした。僕の欲しい答えは少なくともまだ、見つかってはいません。それは、僕がクローンであって、当たり前の人間である彼らと違うということには関係なく。

 歴史に残るような哲学者は、さすがに大哲学者だけあって、必ず何かしら重要なことを言っています。それは人類の知恵と言っても過言ではないでしょう。彼等は僕などには思いつきもしない物の見方を発見しています。それだけで敬服に値しますし、名を残すのも当然だと思います。

 けれど残念なのは、どの哲学者にしても心の底から納得できる思想はそのほんの一部だけで、他の部分は少し首を捻りたくなる点が少なくないという点です。僕なんかがこんなことを言うのはおこがましいことですが、彼らの理論はいつもどこかの方向に、傾いているように思えて仕方ないのです。彼等は賢明に、冷静に論証を重ねているようで――中にはそうでない人もいますが――実はそれほど冷静ではないようなのです。理性的なようでいて、彼らの理論はどこか恣意的に傾いている。それは、彼らが望む結論――世界観や人間観、倫理観――というものが頭のどこかにあって、最終的にそこに向かうために、彼等の推論はその最終地点に向かって傾いてしまうように見えるのです。デカルトもカントも結局は「神」を持ち出してきますし、ハイデガーには最初こそ感動を覚えましたが、どうも馴染めませんでした――特に「死」の扱いについて。そして僕はむしろ、彼の師であるフッサール、そして彼の現象学に目を向けたのです」

 ナッシングはそこで一息入れた。そこでマイトレーヤは彼に、現象学について紹介している本を所望し、それを受け取ることができた(それは日本語で記されたもので、ナッシュの所有物ではなかった)。マイトレーヤは書物に目を落としたが、彼は同時に会話を続けることもできるので、ナッシュに話の先を促した。そこでナッシュは再び口を開いた。

 「そこにも書いてあるかと思いますが、フッサールはハイデガーの師です。ハイデガーは師から現象学を教わり、その方法論を基に自身の存在論を展開しました。それによってハイデガーは二十世紀の最大の哲学者だとまで言われているのです。

 それに引き換え、彼の師であるフッサールの方は今では地味な存在になっています。というのも、彼の研究は地味なものだったからです。彼は非常に慎重に議論を進めます。石橋を叩いて叩いて、既に証明した筈の部分にも幾度も戻ってやり直し、些細な疑問点にもこだわります。そんなだから彼の講義は非常にくどくて、脱落者が多かったと言います。

 けれどもその分、彼の理論には信頼が置けます。それは彼が一見すると地味に、しかし着実に議論を進めるからです。といっても彼が誤りを犯さないと言っているわけではありません(そもそも彼の思想自体も、前期・中期・後期では微妙に変わっています)。しかし少なくとも、他の哲学者のように恣意的ではないと思えます。それは彼が、数学者でもあったからなのでしょう。

 そんなわけで、僕はフッサールを選びました。といってもまだその基本を理解するのが精一杯ですが(なにしろ複雑で難解なので)、どこかに僕の知りたいことがあるのではないかと期待しています」

 「ナッシュよ、君が知りたいことというのは」

 本から顔を上げてマイトレーヤは言った。

 「『この世界が本当に実在しているか』ということ、そして『ナッシング・アッシュフィールドと言う人間が――誰かのクローンとしてではなく君自身が――本当に存在していると言えるのか』ということ、そう受け取ってよいだろうか」

 「……そうです」

 「そうか。ところで、私は今この本を一通り読んだのだが――」

 驚きに目を見張る相手に構わずマイトレーヤは続けた。

 「この本の記述が正しければ、フッサールは君の求める答えを用意してはいないように思えるが」

 「そんな……」

 「しかし、君も知っていたのだろう」

 ナッシングはショックを受けたという顔をしたが、しかしマイトレーヤはその表情から、彼――ナッシングが、既にそれを察していたということを見抜いたのだった。

 「……はい。けれど、希望を捨てきれずにいたのも確かです。フッサールの現象学的還元というのは、確実なことを積み上げていくために、あらゆる存在の定立を疑い、「括弧に入れる」というものです。僕はこれを知った時、きっとその理論は最終的にはその括弧を外し、あらゆる対象の存在を取り戻す――大げさに言えば世界の確実性を取り戻すことにあると早とちりしたのです。そんな勝手な思い込みから研究を始め、「現象学は独我論だ」という批判を目にしても、見て見ぬフリをしていました。なにしろフッサールには刊行されていない膨大な草稿が残っているので、実はそのどこかに、僕の知りたい答えが人知れず眠っているのではないか……などと夢想していたのです」

 「成程、その可能性もある。なにしろ私は、この解説書と君の説明からしか現象学をしらないのだから。しかし……」

 「いえ、いいんです。わかっています。現象学はあくまで主観と客観的対象の認識の一致を目指したのであって、その本質はあくまで認識論に留まるのだということを。いや少なくとも、彼の生前にはそこまでしか手が付けられなかった。……後期になって出て来る相互主観性や生活世界というテーマについてはまだ詳しくないのですが、どうでしょう?貴方の目から見て、その可能性はあるでしょうか?」

 「無責任なことはなるべく言いたくないのだが。何しろ私は原著を見たわけでもなく、解説書を読んだだけなのだから」

 「それでも貴方なら、ご自分で不足した部分を補って、その理論の帰結を洞察することができるのではないですか」

 「それでは言うが、私の見た限りでは難しいだろうな。それは少なくとも、君の知りたがっている答えなどではないであろう。現象学の方法論に添う限り、現象学は主観の意識から抜け出すことはできず、どこまでも独我論から抜け出せはしない。

 現象学においては、意識の外部の(確実な)客観的対象には出会うことは出来ない。現象学に言えるのは、意識に現れる対象が「確かに存在するように思える」、というだけに過ぎない。それは「確信」ではあるが、論理的に保証された明証とは異なる。それはあくまで「信憑(ドクサ)」であり、つまりは「思い込み」の域を出ないのだ(もしも彼が「客観的世界は明証的に存在する」とどこかで主張しているとしたら、それは端的に彼の誤りでろう)。そしてナッシュよ、君の求めているのはそのような思い込みではなく、理性ある者なら誰もが認めうる、明証性を具えた解答であろう。

 しかしナッシュよ、これは別にフッサールの手落ちではない。その対象が何であれ、「自分以外の何かが存在すること」を論理的に証明するのは不可能であるからだ。神の実在が証明できず、結局は「信仰」に陥ってしまように、この世界――そしてその内のあらゆる事物――の実在を信じることもまた、「信仰」の領域に他ならないのだ」

 「信仰?この世界の実在を信じることも、神の問題と同じく「信仰」の問題だと仰るのですか」

 「その通りだ。論理的に証明できないという意味で、それは信仰の問題だ。……しかし、宗教とごっちゃになるのは紛らわしいから、世界の実在性については「信憑」という言葉で表すこととしよう」

 「信憑……。けれどそれでは、現実に存在するこの世界と、夢や幻想、あるいは狂気に陥った人が信じる誤った世界像とに、差がなくなってしまうのではないですか」

 「そうなのだ、ナッシュよ。究極的には、夢の中の世界も狂気の人の信じる世界も、確証がないという点ではこの現実の世界となんら変わりがないのだ。ある人々はこの現実の世界の実在を信じ、またある人は別の世界を――例えばプラトンがイデア界を信じたように――信じる。宗教者は神の住まう楽園や冥界を信じ、未開人は彼らの独特の世界観を有している。虚構の世界にどっぷりと嵌まり込んだ人間はついにはその世界が実在するものと思い込むし、狂人は(健常人にとっての)現実の世界を信じ得ず、彼だけの世界に生きている。このように各人が各人の世界観を有し、その実在を信じている。ナッシュよ、これら全ての世界は、その実在性においては差がないのだ」

 「しかし弥勒菩薩様、そんなのは少数の特殊な人々です。世の中の大半の人は、この世界――この現実の世界――の実在を信じているのですよ」

 「しかし、ナッシュよ。君自身はそうではない。……そうだろう?」

 ナッシングは思わず口を噤んだ。マイトレーヤは言った。

 「たしかに、世間の人々はこの現実世界の実在を信じて疑うことはない。しかし実際問題として、君はこの世界にいながら、その実在性に疑いを抱いているではないか。では君は間違っていて、世間の人々の認識の方が正しいのだろうか?そう言えるのであろうか?……いや、そうではない。そんなことは結局、どちらとも言えないのだ。

 それどころか、もしかしたら君が正しいのかもしれない。皆が現実だと信じ込んでいるこの世界は実のところ、紙の上に記された虚構の世界でしかないのかもしれない。だとすれば世間の人間は間違っていて、君一人が真実を見抜いていることになる。しかしそんなことは、その世界の内に囚われている間は、知り得ぬことなのだ。

 古代中国の聖人である荘子が見たというあの有名な夢の話を君は知っているだろう。蝶になった夢を人間である荘周が見たのか、それとも蝶が人間としての荘周になる夢を見ているのか、それは誰にもわからないのだ。

 では、どうして世間の人々はこの世界の方が現実であり、夢の世界は幻であると疑いなく信じているのか?それはただ、大抵の夢は一夜限りのものであるのに対し、昼の世界(目覚めている世界)は連続していると感じられるからという、それだけのことに過ぎない。そうして積み上げられた過去の記憶、経験の集積が、人々に昼の世界こそが現実だという確信を抱かせているのだ。

 しかし、例えばここに、一人の男がいたとする。彼は或る日の夢の中で、見たこともない美しい宮殿を見た。それはとても神聖な空気に満ちており、目覚めた後も不思議と印象に残った。しかし日常の忙しさから、すぐにそれも忘れてしまった。

 ところが翌る日の夢の中で、彼はまたしてもその美しい宮殿を見た。彼は珍しいこともあるものだと思ったが、それでもまだ取り立てて気に掛けてはいなかった。しかし次の日も、また次の日も続けて、その宮殿は彼の夢に現れた。

 そんな或る夜、いつものように夢に宮殿が現れたとき、彼はそうして宮殿を眺めている自分自身に気が付いた。彼にはそれが夢の中だとわかっていた。しかしその夢の中では現実と同じように自由に身体は動くし、歩き回ることも、見たいものを存分に見ることもできた。そこで彼は、自分が夢の中にいるのだと自覚しながら、その宮殿を探索してみようと思い立った。というのも実はもうずっと以前から、このように執拗に夢の中に現れるこの美しい宮殿は何なのか、その中はどうなっているのかと、気になって仕方がなかったのだ。それが例え、夢の中にしか存在しない建築物だとしても。

 彼は立ち並ぶ美しい柱の列を通り抜け、入り口の扉に手を掛け、ついにそれを開いた。……が、惜しいことにそこで目が醒めてしまった。彼は惜しいことをしたと思ったが、今夜の夢ではきっとあの扉の中を見ることができるだろうと期待した。しかし同時に、もうあの夢を見ることはできないのではないか、という不安にも襲われた。自分はとても大事なものを掴む機会を逃してしまったのではないか?そう悔やんだりもした。

 その夜、期待と不安を抱きながら床に就くと、夢にはいつものように宮殿が現れた。それも、ちょうど昨夜の夢の続きで、彼は既に開いた扉の内に入っていた。彼は安堵し、また己の夢がこのように整然とした秩序を有していることに驚きもした。

 彼は宮殿の内装に感嘆し、更に奥に続く扉を見つけ、それを開いた。そこでまた目が醒めたが、今度は不安に思うことはなかった。はたして彼の予想した通り、その夜の夢では彼はまた宮殿にいて、昨夜開いた扉から次の間に進んでいたのだった。……彼はこのようにして、昼間は何の変哲もない学生として過ごし、夜はこの壮麗な夢の宮殿を見て廻るという、二重生活を楽しむようになった。

 ある夜のこと、若者は彼の夢の宮殿の中で、初めて自分以外の人間に出会った。それは美しい女だった――まさに彼の理想通りの。彼は現実においてはそのような素晴らしい女性に出会ったことはなかった。若者は一目で恋に落ちた。彼女の名を知ることから始め、とうとう彼女の愛を勝ち得た。彼は夜の夢の中で至上の幸福を手に入れた。そのような至福を得た彼にとってはもはや、現実など何の意味もない無味乾燥のものに過ぎなかった。

 さてナッシュよ。このような場合、どちらが自分の属する現実世界だと言えるだろうか?」

 「それは……。それでもやはり、昼の世界の方が現実ではないでしょうか?だって彼は、 自分が夢を見ているだけだと自覚しているのでしょう?」

 「たしかにその通りだ。しかし、それは理由になるだろうか?君達はあのデカルトのように、目覚めている時でも「実はこれは夢ではないか?」と疑ってみることはできる。またそれとは反対に、「自分は目覚めている」と思っている時でも、実はそれが夢であったということもある。これは擬似的覚醒というのだが、君には経験があるか?」

 「擬似的覚醒?どんなものなのですか」

 「例えば目を覚まして、顔を洗ったり歯を磨いたり、朝食を準備したりする。そのように準備して、いざ出かけようと思ったとき、寝床の中で眼を醒まし、横になっている自分を発見する。本人は目覚めているつもりであったのに、実はそれはよくできた夢だったのだ。このようなものを擬似的覚醒という」

 「ああ……それなら経験があります。たしかにおかしな、まるで狐に摘まれたような感じでした」

 「そうだろう。このように現実と夢の世界、あるいは狂人の世界でも死後の世界でも物語の中の世界でも、その世界の実在するかどうかということは結局のところ、その人間がその実在を信じるか否かによってのみ決まるのだ」

 「けどそれでは、現実世界と虚構の世界の区別ができなくなってしまう。だけど僕はこの世界の実在を信じたいのです。確信を抱きたいのに、それができないのです。そんな不確実な世界で僕は、何も信じられない僕は、どうやって生きればいいのでしょう?」

 「ナッシュよ、君の選べる道は三つある。その中から君は好きな道を選ぶがいい。

 一つ目の道は、どうにかしてこの世界の実在を信じる道。しかしこれは理屈に拠っては成し得ない。体験を積み重ね、記憶を蓄積し、生きている実感を得て、懐疑を少しずつ薄めていくしかない。これは云わば、実践の道である。

 二つ目の道は、受け入れる道である。ナッシュよ、君はこの世界の実在について、友人や他人の実在について、確信が持てないという。ではそのようにあるがままに、確信を持てないままに、疑いつつも全てを受け入れればいいのだ。実在するかわからない世界を、そこに生きる人々を、そのようなものとして愛するのだ。夢を夢として、夢のままに愛するのだ」

 「この現実世界に疑いを抱いたまま、それを受け入れる?夢を夢として、夢のまま愛する?どういうことでしょうか。一体、そんなことが可能でしょうか?存在するかわからない相手を、果たして愛することができるでしょうか?」

 「ナッシュよ、それでは聞くが、君は小説や映画などを見ていて、主人公に感情移入することはないのだろうか。登場人物に愛着を覚えることはないだろうか。好きな登場人物や、感情移入した登場人物が死んでしまう場面を見て、悲しんだり、怒りを覚えたりすることはないのだろうか?」

 「いえ、もちろんそうしたことはあります。ですがその場合でもフィクションはフィクションとして、割り切って見ているのです。現実の人間を愛するのとは、やっぱり違いますよ」

 「現実?しかしその現実を、君は信じきれていないのではなかったのか?」

 「それはそうですが……」

 「ナッシュよ、君の戸惑いも、言いたいこともわかる。君はそのようなフィクションの対象としてではなく、現実の人間を現実の人間として、愛したいというのだろう。しかし今の君にはどうやらそれが不可能だから、私はその代替となる方法を語っているのだ。

 今の君にとってこの現実の世界は、その内に住む事物を含めて、懐疑の対象だ。云わば、夢の中の存在のようなものだ。しかしそうであっても、たとえその実在性が疑われようとも、君にとって「現れている」という事実は疑えない。ちょうど現象学においてはリンゴの実在性については判断が中止されても、そのリンゴの「映像」や「手触り」や「味」という体験が君に与えられていることは疑い得ないように。だからナッシュよ、君にとって現れているその対象を、ちょうどあの喩えの中の若者が夢の中の女を愛したように、そのようなものとして愛するのだ。

 それは少なくとも、小説や映画の登場人物を愛するよりは容易いはずなのだ。何故なら虚構の人物は「実在しない」ことがわかっているのに対し、現実の人間はその実在を「疑い得る」というだけで、実は実在する「かもしれない」からだ。それに虚構の存在とは違い、現実の人間には触れることもできるし、言葉を交わすこともできる。それだから、(例え実在していなかったとしても)、より容易に愛することができる。

 あの、壮麗なる宮殿を夢に見る若者は、もしもその恋人に夢の中で二度と会えぬとしたら、深く嘆き悲しむであろう。彼は己の恋人が夢の中の登場人物であると知っていながら、それでも彼女を衷心から愛していたのだから。彼にとっては現実に存在するどのような女性より、夢の中の恋人の方が遥かに大切であったのだ。

 であるからナッシュよ、人が何かを愛する時に、その対象が実在するということは、絶対に必要な条件というわけではない。愛する対象が実在するならもちろん、それに越したことはない。しかし実在しなくとも、愛することは可能なのだ。

 そしてまた、そのような愛し方は、昼間の私の話とも通ずるのだ」

 「どういうことでしょうか」

 「君は私があのクスの木の下で語ったことを覚えているだろうか?人間には確固たる実体がなく、それ故にあらゆる意味で「存在」の名には値しない、即ち儚い「現象」に過ぎないのだと。

 わかるだろうか、ナッシュよ。この世界は、そしてそこに生きる人間は、例え実在すると仮定したところで短い生しか送れない、「仮初めの存在」としての現象でしかないのだ。どれほど大切に思っていようと、力の及ぶ限り守ろうとしてもその手をすり抜け、いつかは失われてしまう。或いはその前に、君自身が失われてしまう。

 だから、ナッシュよ。そのように儚い現象でしかない現実の女性を愛することと、夢の中に現れる女性を愛することは、本質的には何ら変りがないのだ」

 マイトレーヤはこのように語ったが、しかしナッシングはどうしても心から納得はできないでいるようだった。そこで彼は話の続きを促した。

 「それでは、三番目の道を聞かせてください」

 「いいだろう。ナッシュよ、君が選べる三つ目の道、それは死ぬことだ」

 「え?」

 「この世界の実在を信じたいのにそれができない君が採るべき、その三つ目の道。それは死ぬことだ。そのような世界で、そのような気持ちを抱いて生きていけないというなら、死ぬこともまた選択肢の一つである。只それだけのことだ」

 ナッシングは哀しげに笑って言った。

 「そうですね。……僕だって結局は、単なる現象に過ぎないんですから……」

 「ああ。しかしできることなら、君には死んで欲しくないが」

 「え?……どうしてですか」

 「何故なら、君は私の友人だからだ」

 これを聞くとナッシングは頬を僅かに赤らめた。そしてそのような信じがたい言葉を吐いた相手の顔を窺ったが、マイトレーヤは口辺に常の如き微笑を湛えているだけであった。しかしナッシングはその微笑から、常にはない優しさのようなものを感じ取ったし、仮にそれが錯覚であったとしても、その言葉が単なる同情や口先だけの慰めとは到底思われなかった。

 

 22  友情 

 

 そこで彼は気分を直して訊ねた。

 「けれど、本当にこの世界の実在を論証することは不可能なのでしょうか?」

 「残念ながら、それは不可能であるのだ、ナッシュよ。少なくとも人間の理解できる論理では、それを証明することはその原理上、不可能であるのだ」

 「けれど……けれど、貴方は人間を超越した方ではありませんか、弥勒菩薩様。貴方は人間を越えた知恵を有しています。その貴方ならば、知っておられるのではありませんか?世界が確実に存在するという、その論証の方法を……」

 「ナッシュよ、私の友よ。仮に私がそれを知っているとして、君はそれを聞きたいというのか?」

 「はい。……僕はそれを聞きたいのです」

 「ナッシュよ。仮に私がその論証を口にしたとしても、君にとっては何の意味もない。それは人間の言語に拠っては、十全に語り得ないことであるからだ。私があえてそれを語ったとしても、君の耳には無意味な繰言としてしか聞えないであろう」

 「それでも、聞かせて頂きたいのです。……いいえ、それなら、論証してもらわずともよいのです。ただ貴方のその口から、「この世界は確かに実在する、この世界で出会う人や物は全て実在する」と仰って頂ければ、それで満足します。僕はそれを信じます」

 「私が論証しなくとも、それを君は信じると?私の言葉なら無条件に信じると、ナッシュよ、君はそう言うのか?」

 「はい。道理に適っていないと貴方はお叱りになるかもしれませんが、貴方の言葉であれば信じられます。僕は貴方の仰ることなら、無条件に信じられると思うのです……どうか、お願いします」

 マイトレーヤは懇願する相手の顔を見て、暫らく黙考していた。そして言った。

 「いいや、ナッシュよ。私はそれを言うことはしない。それでは何の意味もない。私はそれを知っている。

 私の言うことならば無条件に信じると君は言う。……しかし、それは嘘だ。いや、君には嘘という自覚はないだろうが、結果的にはそうなるだろう。君は世界の実在への確証を切望する余り、藁をも縋る思いでそのように口にしているに過ぎない。

 ナッシュよ。君は私の言うことなら無条件に信じるという。しかしそれならそもそも、君は私などに頼る必要すらなかったのだ。世の中に宗教などいくらでもある。特に、君はキリスト教圏の人間だ。君は今さら私などに頼る位なら、最初から神に縋っていればよかったのだ。

 しかし君はそれをしなかった。信仰に頼らず、いや頼ることができず、理性に頼った。君は哲学により、人間の理性により、自己の懐疑を克服しようとしたのだ。君は理性に頼らずして、心から納得することなくして、何事かを信じることができない人間だ。

 更に言うなら、君は並の哲学思想にも満足することはできなかった。君はデカルトや、カントやハイデガーを信じることもできた。そうすれば安心を得られた筈だ。彼らは彼らなりに世界を解き明かし、その上で人間の生き方を示したのだから。しかし君の理性は自分を誤魔化すことができず、君を現象学という堅実な、しかし難解で入り組んだ道に向かわせた。君が単に何かを信じたいと願い、自分の気持ちを誤魔化せる人間であるなら、君はフッサールの現象学などという地味で面倒な道は選ばなかったであろう。

 しかも君は、そうしてやっと信ずるに値すると思えたフッサールの思想さえ全面的に肯定することはせず、懐疑の目を向けている。ナッシュよ、君の懐疑は相当に根深い。であるから、私がここで何を語ろうと、君がいかに自身を納得させようと努めても、君の懐疑は必ずや再び息を吹き返し、君を苦しめるであろう。

 しかし友よ、それは君の美点でもある。何事についても妥協を許さない君の理性は、学問上においては真摯な態度に他ならないのだから」

 「……そうでしょうか」

 「そうだ。だからこそ私は、君が私の友であるというだけでなく、対話の相手としても相応しいと思ったのだ。

 ……それにナッシュよ、私は「この世界」が実在するなどとは、口が裂けても言うわけにはいかない。端的に言って、それは嘘だからだ」

 「え?」

 「というのも真実を言えば、「この世界」は紙の上、あるいはコンピューターの画面上の虚構の世界に他ならないのだ」

 「そんな、いくらなんでも、それは冗談でしょう?信じられません」

 「そうだろうか?この世界が虚構であるなら、色々なことが納得できる筈だ。昼間、私が君たちの前で灯してみせた、あの不思議な炎のことも、そもそも広隆寺の弥勒菩薩像が動き出すなどという非現実的な出来事も、フィクションなら全て説明がつくではないか?ということは、君は私の言葉を信じるというが、その言葉にしても「私」という登場人物の発言として、この奇妙な書物の作者が紙に書くなりキーボードに打ち込むなりしただけのものでしかない。君はそのような言葉を、無条件に信じると言うのか?

 またそうでなくとも、私があの遠い未来に衆生を救うというあの弥勒菩薩であるという客観的な証拠は何もない。私は広隆寺の仏像を盗み、そのフリをしているだけの、単なる頭のおかしな異常者であるかもしれない。仮に、本当に仏像が動いていたのだとしても、そこに宿っているのはただのありふれた人間の霊であるかもしれない。大学で少しばかり哲学を齧って、小説家になろうと決意したものの一向に目が出ず、ついにバイト先の店長と喧嘩してクビになって実家に戻り、ニートになった挙句に自殺したまさに塵(ゴミ)野郎の名に相応しい人間の死霊が、分不相応にも弥勒菩薩の姿を借りて語っているだけかもしれないではないか?

 だからナッシュよ、君は私を菩薩だなどと思わないでくれ。君がそのように敬語を使うのは、私のことをまだ弥勒菩薩だと思っているからなのだろう。しかしどうかそのような臆見は捨てて、私をただの人間として見てくれ。私をただの友として扱い(もちろん君が認めてくれるならの話だが)、ただマイトレーヤと呼んでくれ。そうして素直に私と言葉を交わし、私が間違っていると思うなら遠慮することも臆することもなく批判してくれ。

 ナッシュよ、私は君の友として、このように君と交際したいのだ」

 そのように求められたナッシング・アッシュフィールドはこれを聞くと、目を白黒させた。というのも彼としてはこの話し相手を弥勒菩薩だと信じていた……いや、信じ込もうとしていたので。

 彼はまじまじと相手を……マイトレーヤを見た。そして暫らく目を閉じ、相手の発言について考え込んでいたが、やがて目を開けると晴れ晴れとした顔をして手を差し出した。

 「……うん。わかったよ、マイトレーヤ」

 マイトレーヤは差し出された手を握って言った。

 「ありがとう、友よ」

 マイトレーヤはこう言った。こうして二人は友となった。

 

23  存在理由について 

 

 そこでナッシング・アッシュフィールドは口調を改めて切り出した。

 「……じゃあ、世界の実在についての証明は諦めるよ。だけど僕にはもう一つ、解決したい問題があるんだ。ねえマイトレーヤ、「僕」は本当に存在しているんだろうか」

 「それについては、君の方がよくわかっている筈だ。現象学は独我論と批判されるが、それはつまり「私」については疑い得ないということだ。デカルトのコギトにしても、フッサールの現象学にしても、「君」は「君」が存在することを――少なくとも君だけは――確信できるはずだ」

 「うん……。確かにそうだ。僕は僕が実在することを知っている。だけど。……だけど、君も知っての通り僕は、その…………クローンなんだ。僕はあいつ、あの恐ろしい……おぞましいハイド・O・アッシュフィールド博士のクローンとして生まれたんだ。

 だったら僕は、クローンとしての僕は、果たして「僕」として存在しているんだろうか?それとも僕は結局のところ、「あいつのクローン」でしかないんだろうか……あいつが言ったように。もしそうなら……僕があいつのクローンであって、それ以上でも以下でもないとしたら……僕にとっては、「僕」が存在しないのと同じなんだ」

 「ナッシュよ、実在するのは「君」だ。君は「ハイド・O・アッシュフィールドのクローン」としてではなく、ナッシング・アッシュフィールドとしてこの世にあるのだ」

 マイトレーヤは安心させるように言った。

 「いくらクローンであろうと、あの博士とDNAが同一であろうと、「君」は「君」であり、他の誰でもない、一人の独立した人間だ。遺伝的要因などは所詮、君を成り立たせる一つの因子でしかないのだから」

 「うん……わかっているよ、マイトレーヤ。君はあの時、奴に反論しながらその実、僕に向かって話してくれていたんだ。僕はそれに気付いていたし、随分と救われたんだ。……ありがとう。

 だけどマイトレーヤ、それでも僕はまだ「僕」が存在することに……一人の独立した人間としての「自分」がいることに、確信が持てないんだ。どうしても、自分が一体何者なのか、考えてしまうんだ。

 だって、僕は元々、この世に生まれるはずのない人間だったんだよ。僕には当たり前の意味での「両親」はいない。普通の人間なら誰もが持っている筈の親も、家族も、誰もいないんだ。

 家系図ってあるだろう?あれには自分が誰の子供か、どんな先祖の血を引いているのか、つまりは自分のルーツが記されている。「自分」と言う人間がどこからやってきたのか、系図を遡ることで知ることができる。

 もちろん、うちの家系図なんてものがあるならそこには、僕の名前も書き込まれているだろう。だけど、それは嘘の系図なんだ!いくら社会的に認められていようと、それを証明する戸籍が役所にあっても、結局そんなものは偽りでしかないんだ。真実のアッシュフィールド家の系図には、僕の占めるべき場所はない。あるとしても、僕はその系図の空白上に、突如としてポツンと現れた点でしかないんだよ!

 わかるかい?僕には「歴史」がないんだ。僕と言う人間の拠り所がないんだよ!」

 「……しかし、それでも現に今、君はここにいる」

 友を宥めるようにマイトレーヤは言った。

 「それは少なくとも確かなことだ。ルーツがなくとも、拠り所などなくとも、君はここにいる。それで十分ではないか?」

 「そうかもしれない。ルーツなんて知らなくても、人は生きていくことができるんだろう。……でも!

 でもマイトレーヤ、僕と言う人間は元はと言えば、「あいつ」の体を構成していた、たった一片の体細胞でしかなかったんだよ。……あいつの体のどの部分の細胞だったのかなんてことは、あまりにおぞましくて聞いてはいないけれど(ひょっとしたら記憶から消したのかもしれない)、とにかくそれは事実なんだ。僕は例えば、あいつの指先の細胞だったのかもしれない(これは実際、かなりましな想像だ)。

 しかしだとしたら、僕と言う人間はあいつの指先ほどの価値しかないということになるんじゃないか?僕が死んだところでこの世界にとっては、あいつの指先の、それもたった一つの細胞が死んだと同じだけの意味しかないんじゃないだろうか?……こんなことを考えてしまうんだ。考えると、堪らないんだ。

 仮に僕と言う人間がこの世に実在しているとして、この僕と言う人間――あいつのクローンとして生まれた僕という人間――が存在することは、この世界にとって一体、どんな意味があると言うんだろう?……僕は一体、何の為に生まれてきたんだろう?僕の存在理由は、生まれてきた意味は、一体何なんだろう……?」

 「……生まれてきた意味?ナッシュよ、君はそう言ったのか?」

 「そうだよ、マイトレーヤ。僕は僕と言う人間が、よりにもよってクローン人間なんかとして生まれてきた理由が知りたい。そんなことに、一体何の意味があるのか?一体どうして神様は、こんな哀れな人間として僕を、この世に生み落としたのだろう?僕はどうしても、その理由が知りたいんだ。

 君は僕が、いきなり神様なんて言い出したのをおかしいと思うかい?けれど僕だって、神様をまるで信じていないというわけじゃないんだよ。僕が現実世界の実在を信じながらそれでも信じ切れないのと同じ様に、僕は神の実在を疑いながら、それでも疑いきれていないんだ。……というより、信じたいという気持ちがどこかにあるんだろう。神様はちゃんといて、僕が普通の人間としてではなくクローン人間として生まれてきたことに、何か特別な意味があるんだって――」

 するとマイトレーヤはたった一言、鋭い語調で吐き捨てるように言った。

 「くだらない」と。

 ナッシングは面食らい、それでも聞き間違いかと思い聞き返した。

 「マイトレーヤ、今なんて言ったんだい?……聞き間違いかな、僕にはくだらないと聞こえたんだけど……」

 マイトレーヤは言った。

 「聞き間違いではない、私はくだらないといったのだ」

 「くだらない?……くだらない、だって。君がそんなことを言うとは思わなかったよ!」

 ナッシングは激高し、マイトレーヤに食って掛かって言った。

 「そりゃ、君にとってはくだらない悩みだろうさ!だけど僕にとっては――」

 「誰にとっても、くだらないものはくだらないのだ!」

 その言葉に気圧されて、ナッシングは言葉を飲み込んだ。彼は呆気に取られた。というのも、マイトレーヤは確かに怒っているように見えたからである。ナッシングはなんとなく、この人間離れした友人は決して感情を動かすことなどないと思っていたのだった。

 しかしナッシングには、何が彼をそこまで怒らせたのかわからなかった。するとマイトレーヤは言った。

 「ナッシュよ。私は君が気分を害したことを知っている。しかし弁解させてもらえば、私もまた怒っているのだ。その理由が、君にわかるだろうか?」

 「……僕が不用意に、「神」なんてものを持ち出したから、かい?」

 「そうではない。私は確かに、「神」や「霊魂」といった形而上のものについては語らないと言った。しかし、他人がそれを語ることにまで口出しするつもりはない。まして、君がそのように神なる超越者に思いを馳せることは、ある意味当然であるし、それを咎めるつもりはない。君がその実在を私に問えば、私は沈黙するまでのことだ。

 ナッシュよ。私が気に食わなかったのは、君が「自分が生まれてきた理由」などと言い出したことだ。自分と言う人間の存在が、この世界にとって何の理由があるのか、などと言ったからだ。更に言えば「自分の存在理由」を、「自分の生まれてきた意味」などという、得体のしれないものに求めたことだ。

 ……そもそも、君は自分が産まれてきた理由を、既に知っている筈だろうに」

 「……知っている?僕が?……どういう意味だい」

 「さっき、博士が言っていたではないか。君という人間の生みの親であり、創造主である博士が。……君は彼の研究を継ぐために産まれてきたのだ。或いは彼が病気になった時、彼のために健康な臓器を提供するために。ナッシュよ、即ちこれが君が造られた意味であり、創造主である博士が定めた君の、「生まれてきた理由」ではないか!」

 「うわあぁぁぁぁ!」

 これを聞くと、哀れな若者は狂ったように叫んだ。彼は激高し、その金色の髪を掻き毟り、そして「ふざけるな!」と声を荒げた。

 「あいつの都合なんて、僕にとってはどうだっていい!僕の求めているのはそんなもんじゃない!僕の存在理由は、生まれてきた意味は、断じてそんなことじゃない!

 たしかに、僕はあいつに造られたクローンだ。そしてあいつがクローンを造った理由は、僕を生み出した理由は、たしかにそんな下種な理由だったんだろう。……だけど僕は、あいつの思惑なんて知ったこっちゃない。あいつがどうなろうと、僕の知ったことか!僕があいつに尽くす理由が、一体どこにあるって言うんだ?」

 「しかしナッシュよ。なんといっても君は、彼によって造られたのだ。君と言う人間があるのは、全て彼のお陰であるのだ。であれば、君には彼の要望に従う義務があるのではないのか?」

 「それは違う!たしかに奴がいなければ、僕はこの世に生まれてこなかった。こうしてここで君と話している、僕と言う人間はいなかった。……だけど、たとえそうだからといって、僕の人生をあいつに捧げる理由にはならないじゃないか?こうして生まれてきた以上、僕の命も、そして僕の人生も、僕自身のものだ。

 ……たしかに生み出された人間は、そうして自分を生んでくれた人間に、感謝すべきなのかもしれない。

 だけどそれは、自由に生きる道を与えてくれた場合だけだ。親が子供を、自分の都合のいいように利用するなんて、許されないことだ。……だって、自分の好きなように生きられないとしたら、親に利用されるために子供が生み落とされたのだとしたら、そんな子供は親に対して、一片も感謝する必要なんてないじゃないか!」

 「そうだ。……友よ、ナッシュよ、その通りなのだ」

 マイトレーヤはその言葉に満足し、穏やかに言った。

 「道理のわかった親はともかく、大抵の親というものは、生んでやった恩、育ててやった恩などといって、子供に感謝を求めるものだ。そして当然の権利とでも言うように我が物顔で子供の人生に干渉し、子供を自分にとって都合のいい道具として扱い、そればかりか自己の所有物のように扱う。そしてそれを、当然の見返りであると思っている。

 しかしそのような親の態度は、端的に言って間違っている。親は「生んでやった恩」などと恩着せがましく言うが、人生などというものは本来、それ自体は良いものでも悪いものでもないのだ。もしも苦しみばかりの生であれば、人生その当人にとってはまったくありがたいものなどではなく、単なる苦行でしかない。つまり、生を受けたこと自体に恩を感じる必要などないのだ(感謝する必要があるとしたら、それは愛情を注いでもらった場合だけだ)。

 そして、親に人生を支配されるということは、これは子供にとっては苦しみ以外の何者でもない。その子供には生の充実、人生の喜びといったものがないからだ(もちろん例外はあるだろうが)。

 しかしこのように本来良くも悪くもない生を、親はさもそれが素晴らしいものであるかのように言う(しかし本当は彼らも、生がそれほど素晴らしいものではないことを知っているのだが)。そして子供に対し、そのように素晴らしい贈り物を授けたのだから、その人生を差し出せと求める。

 しかしこれはおかしな理屈であり、矛盾している。仮に生命が素晴らしいものであったとして、それを与えた見返りにその人生を差し出せというのなら、どうして子供は親に感謝する必要があるだろう?親のそのような振る舞いは、例えて言えば子供に田畑を与え、その見返りとして「収穫した作物を全て差し出せ」と要求するのと同じである。 

 友よ、わかるだろうか?君は先程、「自分が生まれてきた意味」を知りたいと言った。しかしナッシュよ、その「生まれてきた意味」とは一体、「誰にとっての」意味なのだ?君か?いや、そうではない筈だ。

 君が「自分の生まれてきた意味」という時、それは他の「誰か」にとっての「君の生まれた意味」であり、それは大抵は君を造りだした者、あるいは「世界そのもの」を指すのだ。それはまた、君を造り出した人間(或いは神)が、君と言う人間を造り出し、この世に送り出した理由とも言い換えることもできる。

 しかしナッシュよ。そのように言うとき、その理由というのはその「誰か」――「神」――にとっての、君という人間の「利用価値」と同意義なのだ。

 「自分が生まれてきた意味」と君は言う。しかしそれは君と言う人間が、「何者かの意図」の下に生み出されたのだという前提が含まれている。つまり君はその「何者か」――仮に「神」としておこう――にとって何らかの利用価値があるということだ。

 しかし「神」が君に何かをさせようとする、いわば君に使命を負わせているとしたら、それは君はその生を――せっかく授かったその生を――「神」に捧げるように求められているということに他ならない。「神」は君に生命を授け、その生を謳歌するように薦めておきながら、実は君の人生を支配し、その収穫を差し出せと迫る。

 賢明なる友よ。このように言ったからといって、私が「神」が実在すると認めているわけではないことは、君もわかっているだろう。本当のところを言えば、人間の生に意味などというものはないのだ――少なくとも、生まれついての意味というものは。

 しかし君は、そのように人生の意味のないことを認めようとせず、いや人生の無意義なことに耐えられず、「自分の生まれてきた意味」などというありもしないものを求めている。しかし友よ。君はそのように言うことで実は、自分の人生を「誰か」に明け渡してしまっているのに他ならない。

 ナッシュよ。君は自分という人間の存在価値に自信が持てないあまり、他者に依存しようとしているに過ぎない。他者――即ち「神」、あるいは「この世界」――に、自分の存在価値を認めてもらい、保証してほしいと望んでいるのだ。しかしそれを望む時、君は自分自身の生の意義を、その他者に明け渡していることになるのだ。君は「神」から生を授かりながら、進んでその生を「神」に献上しようとしている。

 だから友よ。どうか理解してくれ。たとえそれが自分の本当の親であれ、君を作ったアッシュフィールド博士であれ、或いは「神」であったとしても、自分の生を他人に譲り渡すような真似はしないでくれ。それは君の友である私にとって、なんとも悲しいことであり、また腹立たしいことでもあるからだ。

 友よ。君はアッシュフィールド博士が定めた君の「存在理由」については敢然と否定してみせた。しかし「神」が相手なら、どうしてそれを進んで認めようとするのだ?」

 これを聞くとナッシングは胸を打たれた。そして相手があのように唐突に怒ったのは、決して自分を侮蔑しているためなどではなく、むしろ友人として認めてくれているからであると思い到った。ナッシングを貶める発言をしたのはマイトレーヤではなく彼自身であり、この友人はそのことに対し本気で怒ってくれたのだ、と。

 マイトレーヤはまた言った。

 「……そもそも先にも言ったが、この世界のあらゆる物、いやそれどころかこの世界そのものに、存在する意味などない。あらゆる存在も現象も全て、何らかの意図によって必然的に生じたのではなく、単なる偶然によって生じたのに過ぎない(或いは仮にそのようなものがあったとして、人間にはそれは理解できない)。「君達」が実在することに特別な意味などないし、「私たち」が実在しないことにも特に意味はない。

 昼間人々とも語り合った通り、どれほどの栄華を誇ろうとも、価値あるものを築いたとしても、あらゆる人間は死に絶える。人類は絶滅し、この惑星そのものも消滅する運命にある。あらゆる物は生じ、また必ず滅す。

 であれば「何か」が存在するということに、「私」が存在することに、何の意味があるというのだ?」

 「……そうかもしれない。神なんて存在しない、だとすればこの世界に意味はなく、僕等にも生まれてきた意味なんてないのかもしれない。……だけど」

 搾り出すような声でナッシングは言った。

 「だけど、僕らはそれに耐えられないんだよ、マイトレーヤ。だって……」

 「ああ、友よ、わかっている。君が、いや君達の言いたいことはわかっている。この世界、そして人生に意味がないとしたら、それはさぞかし耐え難いものであろう。

 なぜなら、生とは苦しみに満ちているからだ。

 大抵の人間にとって、人生とは苦しいばかりのものだ。そのように苦しみながら、それでも生きていくためには、理由が必要となる。自分の生に何らかの意味があると思わなければ、到底生きていくことはできない。ギリシャの神々が、永遠の労苦という罰をあのシジフォスに与えたように、人間にとって無意味な労苦は精神的に耐え難い。

 だからこそ、君達はその生に意義を求める。自分という人間が現にある以上、何か意味がある筈だと思いたがる。だから君達は「自分は存在する」と声高に主張するし、そうして存在することに、何らかの意味を求めるずにいられない。

 生存は耐え難く、理由が要る。しかしその理由を他者に依存する時、人はその生を明け渡さねばならない。その時、人は生きていながら、その生は他人に奪われてしまう。

 ……だとしたら、ナッシュよ。君は自分が「生まれてきた意味」ではなく、「生きる意味」を探さなくてはならないのだ」

 「生きる……意味?」

 「先にも言ったとおり、自分の存在理由を「生まれてきた意味」に求めることは、自分の生を他者に支配させることに他ならない。それは他者に依存する、受動的な生き方なのだ。その場合、その他者が君を認めている限り、君は生きることができるだろう。しかし、もしもその他者に見棄てられたとしたら、君はもはや生きていくことができない。君の生殺与奪の権利は文字通り、その他者に握られてしまうことになる。

 これに対し、自分の存在理由を「生きる理由」に求めることは、言わば能動的な生き方なのだ。君は他者に認めてもらって生きるのではなく、自分で自分の生を認めてやらねばならない。本来的には無意味である生に、君自身が意味を与えるのだ。

 科学の眼から世界を見た時、世界はその色彩を失う。例えば、数百年も年経た大樹を、科学は単なる若木と同等に扱う。この私の身体のような尊い優美な仏像を、科学は単なる古い材木の塊と見る。見る者の魂を揺さぶる絵画の傑作を、画布に塗られた絵具の堆積と見る。広い草原に降り注ぐ明るい日差しを、科学は赤外線や紫外線に分解する。

 科学の、いや真理の眼を以ってすれば、世界はこのように光を失う。そしてナッシュよ、それは正しいことなのだ。世界に本来意味はなく、そこに生きる者にも意味はない。

 しかしナッシュよ、君達は、それに意味を見出すことができる。……いや、与えることができるのだ。年経た樹木を見て、君達は敬虔の念

を抱くことができる。古い仏像に、君達は太古の人間の息吹を感じることができる。降り注ぐ明るい日差しを浴びて、生を謳歌することができる。新しい生命の誕生に、神秘を感じることができる。

 ナッシュよ。それは言わば、白い画布に色を塗るようなものなのだ。君は君の感じるままに世界を見て、そこに自由に色を塗っていく。それは誰でもない、君だけの色だ。その時世界は光を取り戻し、もはや君にとって無味乾燥のものではない。

 わかるだろうか?世界にとって君は意味がなく、世界はそもそも意味がない。しかし君にとっては、世界は意味があるのだ。君は世界に意味を見出すことで、むしろ世界に意味を与える。

 だから友よ。君は他者に認めてもらうのではなく、むしろ君の方から進んで、他者を認めてやらなければならない。本来的には無意味であるこの世界に、そこに生きる人々や様々なものに、君が意味を「見い出す」のだ。それこそが、「君が生きる意味」となる。

 ナッシュよ。人間の生は辛く、苦しく、それでいて無意義である。人生に意味はなく、この世界にもまた意義はない。

 このように不条理な世界で、それでも君が生きていく理由、いや、生きていきたいと心から思えるその理由それこそが「君が生きる理由なのだ。それこそが君の、真の「存在理由」であるのだ」

 「生きていく理由……。人生が辛く、苦しく、それでも生きていきたいと思える理由?……そんなものが、本当にあるのかな」

 「ナッシュよ。残念ながらそれは、私には答えられない。それは君が、君自身が見出すしかないのだ。君が生きる理由を他者が用意するのでは、まったく意味がないからだ。君自身が、君の人生においてそれを見出さなければならない。心の底から満足できるもの、君に本当の幸福を与えてくれるものを、これから君は探さなくてはならない。

 君にとってのそれが何であるか、私は知らない。それは恋人であるかもしれない。友人であるかもしれない。家族であり、愛する人との子供であるかもしれない。あるいは事業かもしれないし、芸術活動であるかもしれない。

 しかしいずれにしても、それを決めるのは君自身なのだ」

 「……だけど、そうやって何かを求めることに、それこそ意味があるのかな」

 ポツリとナッシュは洩らした。

 「だって君は何度も言っていたじゃないか。この世界のあらゆるものには実体がない、全ては儚い現象に過ぎないのだと。実在するかどうかもわからない、そんなものに意味を見出し、手に入れることに、何の意味があるんだろう?」

 「ナッシュよ。友よ、それは違う。意味はあるのだ……君にとっての意味が。所詮は夢や幻かもしれない、実在するかどうかもわからないこの世界で、君が愛する人を見出し、家庭を作り、子供の成長を見守ること、或いは天職を見つけ、良き人々と交流すること……それら全ては、この世界にとっては確かに何の意味もない。……しかしナッシュよ。それは君にとっては、大いに意義があることなのだ。

 なぜなら、たとえば君が恋人の愛を得られたとして、そのために君が感じる喜びの思い、それは疑い得ない事実であるからだ。晴れて君のものとなった恋人は、或いは夢の中に現れる女性のように、実在しないかもしれない。或いは、すぐにも死んでしまう儚い運命にあるのかもしれない。……しかしだからといって、君が彼女と過ごして得られた快楽や、喜びの気持ちや、そして幸福の感情までが、全てなかったことになるであろうか?

 いいや、違う。そうではないのだ。

 ナッシュよ。君が美しい花を見て感動を覚えたとしよう。しかしその花は実は幻に過ぎず、実在しないものだとする。……しかしその場合でも、例えその幻の花が実在していなかったとしても、君がその花の像を見ていたという事実は疑い得ない(現象学の言うように)。そしてその花の像が君の視覚に与えられていたのと同様に、がその花によって感動を覚えたという体験自体もまた疑いえないことなのだ

 だから、友よ。あらゆるものが失われる運命にあるとしても、君は失うことを恐れてはならない。失うことを恐れ、「だから手に入れることに意味などない」と、考え違いをしてはならない。君がその人生において何か価値あるものを見つけ、意味を見出し、手に入れようと努力することは、決して無駄なことではないのだ。君が、その人生において手に入れたものをいつかは失うことになるとしても、それによって得られた感情は……快楽も、喜びも、充実も、安らぎも、そしてなにより幸福も、決して嘘や偽りではないのだ。

 もちろんそうは言っても、実際に失う日が来れば、君は嘆き悲しむであろう。それが大切なものであればあるほど、君は悲嘆に暮れ、かつて幸福を味わっていたことも忘れ、「こんなことなら最初から手に入れるのではなかった」と考えるかもしれない。或いは「あんなに必死になって築いたものが、こんなにも無残に失われてしまうのなら、手に入れることに意味などなかった」と考えるかもしれない。

 しかしそのように君自身が忘れてしまったとしても、君がその大切な者と過ごした日々は――その幸福の感情は、掛け替えのない時間は――たしかにかつて、君とともにあったのだ。君自身がそれを否定して、いっそのこと忘れ去ろうとしても、その事実が消えてしまうことは決してない。

 であれば、君は悲しみの感情のみに囚われて、虚無に身を委ねることはよすがいい。君は大切な何かを手に入れ、しかしそれを失った。それは比類なき痛手である。言語を絶する悲しみである。しかし、それによって過去の幸福までも否定する権利は誰にも――たとえ君自身にも――ないのだ。

 何かを失った後、或いは人生に終焉が訪れる時、君は悲嘆に暮れることもできる。しかし、幸福だった過去に思いを馳せ、微笑みを浮かべることもできる。

 友よ。人の生は短く、儚い。それはあたかも、一夜の夢のようなものだ。しかし君達はその夢を、苦悩に満ちた悪夢にもできれば、華やかに彩られた幸福な夢にすることもできる。それは、君たち次第なのだ。君達はそれだけの力を有している。

 そして、友よ。君がそのようにして手に入れた人生は、君がその手で得た幸福は、ただ君一人のものだ。他の誰でもない、「君」自身のものだ。決してあの傲慢な博士のものではないし、ましてや「神」のものなどではない。

 何故なら君は、今や「生きる理由」を見つけた君は、他者に自己の生を預けるのではなく、自らの意志に従い、この無意味な世界に意味を見出し、自らの力で生きたからだ」

 マイトレーヤはこう言った。

 

24  決定論への抵抗としての快楽主義、あるいは利己主義について 

 

 悩める若者であるナッシング・アッシュフィールドはこの新しい友の言葉に慰められ、希望を見出したようであった。それはかつて彼の望んだように、超越者としての弥勒菩薩の言葉ではなく、単なる人間としての、そして紛れもない友人としてのマイトレーヤの言葉に、その心を動かされたからだった。二人が出会って以来――或いは八年前の、彼にとっての運命の日以来――殆ど常に暗く沈んでいたその心に、初めて光が射し始めたのである。

 しかし彼の顔は再び曇った。彼の心には再び暗い疑念の陰が差し、浮かび上がりかけた感情を沈めてしまった。

 「君がこんなにも懸命に僕を励まそうとしてくれているのに――」

 彼は言った。

 「しつこく疑問を口にすることを許してほしい。というのも――我ながら厭になるけど――どうやら僕はまだ、納得できていないようなんだ」

 「構わない」

 マイトレーヤは即座に言った。

 「むしろその方が、私にとっては助かるのだ。私は徹底した対話を望むのであるから。君は遠慮なく、その疑いを口にすればいい」

 「……ありがとう。じゃあその言葉に甘えて、話してみるよ。

 君は今、僕は僕の人生を他人に譲り渡すのではなくて、自分自身で選択して決めていかなくてはならないといった(ニュアンスは違うかもしれないけど、僕はそのように受け取った)。そしてその為に僕は、自分が本当に望むものを見つけなくてはならない。それはいつか失われるかもしれないけれど、少なくともそれによって得られた幸福の記憶は嘘じゃない。だから僕は、僕の人生に意義を見出し、誰のためでもない僕自身の人生を生きることができる……君はこのように言った。

 ……だけど、本当にそうだろうか?そうやって僕が望んだものは、果たして本当に「僕が望んだもの」と言えるんだろうか?」

 「というと?」

 「というのは、僕が普通の人間とは違う……つまり、クローンだからだ。クローンである僕が望むものは、その実「あいつの望むもの」なんじゃないか……そう思えるんだ。

 僕がこんなことを思うのは、僕の抱く価値観とか、物の趣味とか、好き嫌いなんかが、あいつと似ているからなんだ。僕にとっては不愉快なことに、いやそれどころかおぞましくもある事実だけど、でも実際、そうなんだ。

 もちろんそうはいっても、何から何まで同じという訳じゃない。僕は知っての通り哲学を専攻しているけどあいつは人文学全般に全く関心がないし、見下してさえいる。あいつは基本的に傲慢だけど、僕はそうではない。

 僕と「あいつ」はこんな風に、重要な点で食い違っている。だけどそんな信条とか信念なんかとはかけ離れた些細な部分で、僕はあいつとの共通点を見出してしまう。

 マイトレーヤ、これは僕にとって不愉快どころか、この上なく恐ろしいことなんだよ。僕は現実の人間としての「あいつ」じゃなく、僕の中、この「僕」自身の中に、「あいつ」の存在を感じ取ってしまう。……すると僕は、心底から脅かされたという、惨めな気持ちになる。僕の趣味や嗜好が「あいつ」と同じなら、僕が何かを選び、望んでそれを手に入れたとしても、結局は「あいつ」に支配されているということになるんじゃないだろうか……?」

 マイトレーヤはこれを聞くと、この友人の置かれている境遇、クローンとしてこの世に生み落とされたという事実に由来する彼の苦しみが、如何に入り組んだものであり、厄介な問題を孕んでいるかに改めて思いを馳せた。技術自体に善悪はない。クローンという技術自体は悪ではなく、それによって生まれたクローン人間――即ち彼の友人たるナッシング・アッシュフィールド――が、そのことによって当然に不幸であると言うことはできない。彼がこの世に生まれたことそれ自体は罪でも悪でもないし、もちろん彼自身には何の罪もない。

 しかしそれでも、このように苦悩せる魂を生み落としたクローンという技術は厳重に規制されて然るべきであり、何よりも彼を、彼の人生そのものを支配しようと目論む傲慢なるアッシュフィールド博士は当然に非難されるべきであり、断罪されるべきである。マイトレーヤは強くそう思った。

 そのように黙り込む相手を何と思ったか、ナッシングは再び口を開いた。

 「ねえマイトレーヤ、例えばこんな人がいたとしよう。彼は教会の牧師の息子で、父親の跡を継ぐことを周囲に求められている。彼はある時点までは素直にその道を信じ、親や周囲の期待に応えたいと心から思っていた。

 けれど彼には次第に不満が募った。というのも彼は本来的に自由を好む性格で、規則でがんじがらめにされる生活に嫌気が差したんだ。周囲の無言のプレッシャーも、彼に却って反感を抱かせ、逆の道に向かわせた。彼は周囲の人間や親、そして何より自分にそのような運命を与えた「神」に反発し、家を飛び出してしまった。彼は僕たちと違って、神を信じていなかったわけじゃない。むしろ信じていたからこそ、神なんかに自分の人生を支配されてたまるか、と思ったんだ。

 こうして家を出た後は、彼は自由に自分の生き方を選ぶことができた。そうして彼は迷った末に、小説家を目指すことにした。というのは彼は子供の頃から本を読むのが好きで、空想的な部分があったし、文章力もそれなりにあったから、向いているんじゃないかと思ったんだ。その選択は間違ってはおらず、彼は小説家になるチャンスを掴むことができた。また世間からの評価はどうあれ、自分では満足のいく作品を書くこともできた。

 そうして彼は生涯を全うした。彼はその臨終においても、自分は牧師になるという神の決めた運命に逆らい、自分の意志で人生の意義を掴み取ったのだと信じ、満足していた。彼は、そのために地獄に堕とされたって構わないとさえ言っていた。

 そんな彼の魂はしかし、死後に神様の前に引き出された。そして、自らの運命に抗い、悔いのない人生を送ったと信じている男に神様は次のように言った。

 『お前は、自分の意志で私の意思に逆らい、自由に自分の人生を選択したと思っているだろう。しかしそれは、実は全て私の意図した通りであったのだ。お前は小説家になることを自分で選んだと思い込んでいるが、それは私の仕向けたことだったのだ。

 私はお前に、反骨心に満ちた小説を書かせたいと思っていた。しかしそれには、お前に反抗的な性格を与えるだけでは足りない。そこで私は、あえてお前を牧師の息子という窮屈な境遇に誕生させ、規則でがんじがらめにして、その小生意気な反抗心を育てたのだ。お前は私の目論見通りに家を飛び出し、また自らの天分に従って(それも私が与えたのだが)小説家になった。

 わかるか。お前は自らの意志で私に反抗したのだと思いあがっている。しかし元はと言えば、お前の持つ意志の強さも反抗心も、この私が与えたものに他ならないのだ。

 わかったか?つまりお前の人生は何から何まで、私の思い通りだったのだ』

 神様は笑いながらこう言って、男の鼻っ柱を折り、それどころか絶望させた。

 マイトレーヤ、君はわかっていると思うけれど、僕は別に神様がいるなんて本気で思っているわけじゃない。それに、もしも仮に神様がいるとして、まさかこんな酷い奴だなんて、本気で考えているわけじゃないんだ。だけど……だけど、わかるだろう?僕にとっての「あいつ」はつまり、こうした人間なんだよ」

 マイトレーヤはこの喩え話を興味深く聞き、聞き終わると暫らく黙って考え込んでいた。やがて深々と頷くと、彼に向けて話し始めた。

 「ナッシュよ。私は今こそ理解した。薄々と感じてはいたが、今こそそれを確信した。ナッシュよ、君は私だ。私と君は、全く同じなのだ。私達は全く同じ境遇であり、同じ苦しみを抱えている」

 「君が僕と同じだって?君が、僕と同じ苦しみを抱えている?……そんなこと、信じられないよ。君は、僕なんかと違う。だって君は……」

 「聞け、ナッシュよ。君は私には悩みなどなく、苦しみなどないと考えているのだろう。しかし、それは違うのだ。私はずっと苦悩してきたのだ。

 知っての通り私は、弥勒菩薩ということになっている。それは師である釈迦の予言によって、遠い未来に悟りを得て地上に降り、衆生を救うと言われている仏の名だ。そしてそれは、未来の私に他ならないのだと言われている。

 それは言わば、私に課せられた使命なのだ。私は神々からそのような使命をもった者として産み落とされ、その使命を果たすことを求められている。彼らに言わせれば、それこそが私の「生まれてきた意味」であり、私の「存在理由」ということなのだ。

 しかし。……だとすれば私は、どうしても「それ」をしなければならないのだろうか?私は、それを拒むことを赦されてはいないというのか。それが私の存在理由であるとするなら、その使命を拒否した時、私はその存在を失うことになるのか?

 いや、或いはその使命を拒否した時、私は私が「弥勒菩薩」であること、即ちマイトレーヤである根拠を失うことになるのか。私が私の存在理由を失う時、私は「私」ではなくなってしまうのか?

 ……ナッシュよ。私は地上に降りた理由について、人々を救うことに疑問を抱いたからだと語った。しかしそれは、単に嫌気が差したというだけのことではない。私は瞑想する内にこのような考えに到り、自らの使命というものに疑問を覚えたのだ」

 「ああ!」

 ナッシングは叫んだ。マイトレーヤの手を取って、無我夢中で言った。

 「ああ、貴方は私です!いや……マイトレーヤ、君は僕だ、僕なんだ!

 僕もまた、「あいつ」に作られた。あいつの自分勝手な理屈で、僕はあいつに造られたんだ。……いや、僕だけじゃない、クローン人間というのはそもそも、「何かに利用するために」生み出されるものなんだ。そうさ、君が言ったように、それは「利用価値」ということに他ならないんだ。あいつらが考える、僕の利用価値というものがつまり、僕の「存在理由」ということに他ならない。僕はそんな下卑た思惑を認めるのが厭で、自分の存在理由を「神」に求めたんだ。

 だけど君のさっきの話を聞いて、それが間違いだとわかった。そして今の君の言葉を聞いて、神々に負わされた使命というのもやっぱり、結局のところ利用価値ということでしかないとわかったんだ。それが誰に負わされたものだとしても、使命なんてものはつまり、連中が自分勝手に押し付けてきた要求でしかない!」

 「その通りだ、ナッシュ。そして自らの創造主によってそのような重荷を負わされた私達は、それを撥ね退けて「生きる意味」を探し、自ら選んだ生を勝ち得なければならない。それは先にも言ったとおりだ。

 しかし君の言うとおり、これには困難な問題が含まれている。君が喩えで語った通り、私もまた造物主の罠に掛けられているのだ。

 私には二つの選択肢がある。即ち人類を救うべきか、あるいは救わないべきかということだ。前者は神々が私に課した使命に添うものであり、後者はその使命を放擲する道である。

 あるいは私は、このように問題を立てることもできる。神々の意に従うべきか抗うべきか、ということではなく、私自身が人類を救いたいと思うか、そうではないか?私はこのような観点から、自分の道を決めるべきかもしれない。 

 しかしその場合でも、君の言った通り、困難な問題は残るのだ。私が人類を救いたいと思えないならそれでよい。しかし、もしも私が人類を救いたいと考える場合、その気持ちは実は、神々が私の心に仕組んだ資質であるかもしれない、ということだ。ちょうど君の喩え話のあの小説家が、その心に反抗心を植え付けられていたように、私には「人類を救いたい」という気持ちが植えつけられていたということになる。 

 もしもそうであるなら、私はもはや人類を救いたくはない。そのように私の心までも弄ぶ神々の意図に盲目的に従ってまで、私は人類を救いたいとは思わないだろう。私はそのような屈辱を味わう位なら、神々に戦いを挑むか、死を選ぶであろう。

 さて、どうしたものか?私は人類を救うべきだろうか、それとも見棄てるべきだろうか」

 ナッシングは返答に窮した。問題があまりに大きすぎるので、軽々しく口を挿むべきではなかったからである。それにマイトレーヤの言葉は質問というより、自問に近いものだった。

 沈黙が部屋を支配した。マイトレーヤは目を瞑り沈思黙考していたし、ナッシングもまたマイトレーヤに頼るのではなく、自力で解答を得ようと足掻いていた。しかし結果は虚しかった。

 その時、マイトレーヤが目を開いて言った。

 「……ナッシュよ。我々には、まず確認しておかなくてはならないことがある。それは、人間が有している趣味や嗜好――例えば食物の好き嫌い、異性のタイプ、芸術作品の好みなど――は、恣意的には変え得ないということだ」

 「……そうかな?好き嫌いは克服できるし、絵画の好みだって年齢によって変わったりするんじゃないかな」

 「たしかに、趣味や嗜好というものは経験や、時間の経過によって移り変わる。しかしナッシュよ、それは決して本質的な変化ではないのだ。工夫することで嫌いな食物を克服できるとすれば、その者には元々克服できるだけの素地があったということだ。いや少なくとも、我々が相手どるような高慢な神を想定するならば、その程度の変化は予め想定されていると考えるべきだ。我々はどのように工夫をしても、神々の掌の上で踊っているのでは、という疑いを捨て去ることはできない。

 では、どうすればよいのか?

 一つは、あくまでもそのような神に反抗するために、あえて自分に備わる才能や資質を無視し、自分の望まない生き方を敢えて選ぶ道。これは先の男の喩えで言えば、小説家以外の生き方を選ぶということだ。もう一つは、自身に備わるそのような性向を受け入れ、素直に、己の心の欲するままに生きる道。これはもちろん、あくまでも小説家としての生き方を選ぶということだ。……さてナッシュよ、君ならどちらを選ぶ?」

 「……全能の神に抗う生き方と、神への反抗を諦め、受け入れる生き方か。……僕なら、前者かな」

 「本当にそれでいいのか、ナッシュよ?それはつまり、君にとって本来的に好ましくない生き方だというのに」

 「確かに、辛い生き方だと思うよ。……だけど、それでもそんな傲慢な神の思い通りに動かされる、そんな不愉快に比べたらまだマシだよ」

 「成程な。確かに、それは一つの生き方ではある。気にいらない、絶対的な超越者に反抗するためだけに、痩せ我慢するというのは。それは小気味よい生き方かもしれない。

 しかしナッシュよ。その場合、次のような結末もありうることを、我々は覚悟しておかなければならない。そのように敢えて己の欲することを無視して、ひたすら自己の幸福とは正反対の方向を目指して生きてきた君が――それはあくまで神に反抗するためなのだが――その死後に神の前に引き出されて『お前がそのように振舞うことも、私の狙い通りだ。私は、お前が人間の分際で分不相応にも私への反抗を企てているのを知っていた。そこでお前がわざと自分の望むことを避けるように仕向け、散々辛い目に遭って苦しんでいるのを見て、腹を抱えて笑っていたのだ』と、このように言われる可能性だ。

 どうだろう。君には耐えられるだろうか?その場合君は、散々な苦労を味わった挙句、唯一望んだ神への反抗さえも成し得ないということになる。……その時、君は絶望するのではないか?それとも、それでも君は笑い飛ばせるか?」

 「それは……」

 「笑い飛ばせないというのなら、よすがいい。君はそのような抵抗はやめて、素直に、己の欲するところを為すがいい」

 「……つまり、諦めろってことだね」

 ナッシングは自虐的に哂った。

 「人間なんて、神様にとっては所詮、玩具に過ぎないんだから、抵抗するだけ無駄だと言うんだね。諦めて支配を受け入れて、奴隷の平穏を得るべきだ、と」

 「いいや、ナッシュよ。そうではない。決して、そうではないのだ。我々は諦めるのではない、受け入れるのだ。

 人間の趣味や嗜好、物事の好き嫌いというものは、ある程度は生まれつき決まってしまっている。それはもちろん、経験や環境によって変わり得る。しかしそうではない部分、変わり得ない部分も確かにある。

 それは言わば、生まれつきの境遇のようなものだ。身長や外見、あるいは運動神経などと言った身体的要因が生まれつき決まっていて、自分ではどうにもできないように。あるいは生まれてくる時代や国や民族を自分では選べず、それどころか親や家庭をすら選び得ないように、それは本人にはどうしようもないことなのだ。ナッシュよ、それは受け入れるしかないことなのだ。

 そのような生まれつきの性向を否定して、徒に自分の望みとは正反対の道を行けば、待っているのは苦しみだけである。とはいえ神に恭順するのは、我々にはまた苦痛である。

 しかしナッシュよ、こうは考えられないだろうか?神に操られていようといまいと、「君」は「君」であると。神の思惑などは意に介さず、君は君の欲するままに振る舞えばよいのだ。神に支配されていようといまいと、君はしたいようにすればいい。

 たとえそれが神の狙い通りの行動であり、君がそれを知って反抗したいと望んだとしても、君はそのようにするべきではない。

 私はまた、このように言おう。我々は我々の嫌いな神などのために、自己の欲するその行動を、変えるべきではないのだと。我々は自らの意志により、自らの望む行動だけをするべきだ。そう考えられるようになった時、我々にとっては神の意図などもはや、どうでもよくなっているであろう。

 そのようにして君が生き、満足して死んだとする。君の魂は神の前に引き出され、高慢なる神に『お前が生前に行った行動は全て、私が予め意図していた通りだ』と、勝ち誇って言われたとしよう。ナッシュよ、その時君は、ただこう言えばよい。

 『それがどうした』、と。

 ナッシュよ。たったこれだけのことで君は、君を生み出した高慢な神と、対等の位置に立つことができるのだ」

 「そう、かな。……そうしたら僕は、「あいつ」に対抗できるのかな?」

 「少なくとも私は、そう思う。いやむしろ私は、君の勝ちであると言い、祝福しよう。ナッシュよ、それでは不足だろうか?」

 「いや。……いや、君がそう言ってくれるのなら。それで十分だよ、マイトレーヤ」

 ナッシングは涙を浮かべていた。マイトレーヤは優しい笑みを浮かべていった。

 「ナッシュよ。あの博士は君が、どんな道に進んでもそれは自分の可能性の一つなのだと言った。それは彼なりの確立された人生観であり、狂的な信念であるから、我々にはそれを覆すことは難しい。彼は彼の主観において、自由な信念を抱くことができるのだから。

 しかしナッシュよ。それは同時に、君が彼に対抗して、「それは違う」と言い張ることもできるということだ。君は彼に対抗して、自分は自分であり、けっして彼ではないという信念を主張することができる。君がそのような確固たる自我を確立し、揺るがない信念を抱くことができたとき、その時こそ君は彼など歯牙にもかけぬ、誰かのクローンでもない、一人のナッシング・アッシュフィールドになることができるのだ」

 ナッシングはその言葉を噛み締めるように聞いていた。そして言った。

 「……ありがとう、マイトレーヤ。なんだか、心が軽くなったような気がする」

 その言葉通りの晴れやかな笑みを浮かべてナッシングは言った。実際、彼は自分がクローン人間であると知ったそもそもの日から初めて本当の意味で、明るい気持ちになることができたのだった。感謝を告げるナッシングにマイトレーヤは、首を振りつつ言った。

 「私の方こそ礼を言わせてくれ。君がいなかったら、私はこのような結論に達することはできなかったであろう。君を知り、現象学を知り、そして人間というものを知ったからこそ、私はこのような認識に達することができた。短く儚い生を生きる人間、存在の名には値しない人間、……しかし君達はその短い一生の内に、悩み、苦しみ、しかしその苦しみに値するだけの幸福をも、確かに得ることができるのだと私は知った。その生が夢や幻のようなものであったとしても、その間の幸福も苦悩も、幻ではなく、たしかにあったのだと知ることができた。

 ナッシュよ。君と言う人間の陥った苦難は特異なものだが、しかしあらゆる人々にあてはまる、本質的な問題をも孕んでいた。そのような君との対話を経ることで、私はこのように人間を知ることができた。それは私には喜ばしいことなのだ。

 私もまた、迷いを捨てることができた。私もまた神々の思惑などに拘泥することなく、自己の思うままに生きよう。人類を救いたいと思えるなら救うし、そうでなければ見棄てよう。ナッシュよ、この結論に達したのは、君の問いがあったからなのだ」

 マイトレーヤは微笑んだ。ナッシングはその言葉を聞いて誇らしく感じ、また喜びをも抱いたのであるが、同時にある不安をも抱いた。そこで聞いた。

 「だけど、マイトレーヤ……。さっきの、僕が僕の心から欲することをすればいい、という結論は、……あれって、快楽主義につながるんじゃないかな?」

 「ナッシュよ、君の危惧するとおりだ。私の看破した人間の本質、そしてそこから帰結する君達の採るべき生き方こそ、即ち快楽主義に他ならない。いや少なくとも、人間が人間らしくあるためには、利己的であらねばならないだろう。

 しかし私がこのように言うのは、別に人間が醜い欲に塗れた生物だと貶しているわけではない。私が言いたいのは、ニンゲンという生き物……即ち人類なるものはその本質から言って、利己的に生きるように宿命づけられているということだ。これは、そのように生まれついているというだけで、別に君たち自身の罪ではない」

 「……だけどさ。そもそも君が地上に降りてきた目的と言うのは、人類が救うに値するものかどうかを見極めるためだったんだろう?……人類がそんな利己的な生き物だと知って、君はそれを救うに値すると思えるのかい」

 「いや、思わないよ、ナッシュ。ニンゲンが利己的なのは君たち自身の罪ではないが、それでも利己的であることには変わりない。ニンゲンがそもそも利己的な生き物であり、本来的に自分のことしか考えられないとしたら、どうして私がそんな連中を救わなければならないというのだ?ニンゲンがそのように自分のことしか考えないというのに、どうして私一人が骨を折って、他人のために苦労しなければならないのだ。

 ナッシュよ。どうやら今日の対話における結論としては、そういうことになるらしいのだよ」

 マイトレーヤはこう言った。

 

 夜は更けていった。彼等はその後も様々な話をした。特にナッシングは、マイトレーヤの下した結論に対して人類を擁護しようとあれこれ試みたが、うまく果たせずにいた。マイトレーヤは微笑しつつそれを聞いていた。

 やがてナッシングはソファーに横になり、寝息を立て始めた。マイトレーヤは彼に仮眠用だという上掛けを掛けてやり、その寝顔が安らかであるのを確かめると、人知れず穏やかな微笑を浮かべた。

 マイトレーヤはといえば、彼は眠らなかった。彼は書棚を眺め、そこから書物を抜き出すと、その驚異的なる速読の能力によって次々と読破していった。彼は夜っぴてそうやって、その部屋の書物に片端から目を通したのだった。

 マイトレーヤ、即ち弥勒菩薩が天界から降りたその最初の日、2012年の12月21日の対話は、そのようにして終わった。

 

  第一部  完