第六夜

 

 こんな夢を見た。

 

 目が覚めると、身体がほとんど動かない。それでもなんとか手を持ち上げるが、それはまるで赤ん坊のように小さい。それで自分が赤ん坊になっていることに気付く。

 私は赤子になり、ベッドのようなものに寝かされているらしい。

 周囲には誰もいない。苦労して首を動かすと、白い壁に何の特徴もない、黒い時計が掛かっているのが目に入る。

 針は二時五分を指している。

 私はその時計に見覚えがないことに気付く。それどころか、よくよく見れば部屋の様子にも見覚えがない。それは実際、私の全く知らない家である。

 その時、私はふと矛盾を感じる。私は今、見ているものとは全く別の家を思い浮かべていた。つまり、私には過去の記憶があるのだ。なぜ?

 私は見ての通り赤ん坊なのだから、過去の記憶などある筈がない。それなのに、なぜ私は過去の記憶を具えているのだろう?

 そして気付く。私は赤子である。しかるに、過去の記憶を有している。とすればその記憶とはつまり前世の記憶に他ならないではないか。つまり私は、一度死んで生まれ変わったはいいものの、過去世の記憶を持ち越してしまったのだ。

 その事実に私は愕然とする。

 私は思わず慨嘆する。ああ、私は死んでしまったのだ。あんなにも満たされた、愉快な人生を送っていたというのに、気の毒なことに死んでしまったのだ。そうして何もかも失い、あの世に行ったというのにまた娑婆に生まれ変わって、こうして頼りない赤子の身になっているのだ、と。

 そうして、その記憶を持っている私である。

 ……それにしても、私はどうして前世の記憶を有しているのだろう?私はふと疑問を抱く。前世の記憶というのは本来、忘れてしまうべきものではないのか。それとも私は、飲めば一切の記憶を消してくれるという黄泉の国の河の水、あの有名なステュクスの水をあえて飲まなかったというのだろうか……。

 それにしても、記憶を持ったまま生まれ変わるというのは難儀なものだ。過去世を振り返って私は思う。残してきた色々なものがどうにも気に掛かる。あれからどれ程の時が過ぎたのだろう?私の恋人はどうなったのだろう。子供達は……。この赤子の身では、どうしようもないとはいえ……。

 ……………………。

 そうして物思いに耽り、ふと時計を見ると二時七分になっている。

 私は再び愕然とする。

 体感では、最初に時計を見てから既に三十分は過ぎている筈である。しかるにあの時計に依れば、実際にはまだ二分しか過ぎていないという。

 私は狼狽する。

 これが赤子というものか。赤ん坊にとって時間とは、こんなにもゆっくりと流れているものなのか?

 そして私はある深刻な問題に気付く。

 赤ん坊である私は自由に動くことはできない。そもそも、立つことすら叶わない。

 それでは、成長するまでこの私は、一体何をして過ごしたらよいのだ?

 どうやら赤子にとって時間とは、大人とは比べ物にならぬほどゆっくりとしか進まないものらしい。現に時計の針は未だに二時七分を示している。であれば、これから成長するまでの時間を私は、いたいけな赤子の身で既に倦怠を知っているこの私は一体、どうして過ごせばよいというのだろう?この身動きの叶わぬ身体で……。

 その時間の茫漠たることを思い、私は殆ど絶望しかけた。

 そこで目が覚めた。

 

 目を覚ました後、その夢の奇妙な感覚に戸惑いながらも、私は幾度もその時のことを思い出そうとした。赤子の私が持っていた筈の「前世の記憶」とやらが気になったからである。

 しかし、どれだけ記憶を探ってもその前世とやらを思い出すことはできず、私は諦めざるを得なかった。そもそも本当はそんな前世の記憶などなくて、ただ「そういう設定の」夢だったというだけのことかもしれない。

 或いは、こうも考えた。夢の中の私が持っていた「前世の記憶」というのはつまり、この「今」の私の記憶に他ならないのではないか。だからあの夢で赤子の姿だった私は、「今の私」が死んた後に生まれ変わった姿なのであり、つまりは来世の私だったのだ、と。

 そう考えて、私は実に厭な気分になった。