『飢え』 クヌゥト・ハムスン著  新潮社版世界文学全集27巻所収

 

 

 家にあった昭和二年~の新潮社の世界文学全集の「北欧三人集」に納められていた作品。過去に角川文庫でも出ていたらしいけど、今は絶版らしい

 今はそんな知名度のない作家みたいだから(自分が知らなかっただけか)まずは作者の解説から少し。「北欧三人集」に入っていたことからもわかるとおり、作者はノルウェー出身(ちなみに他の二人はビョルンソンとスウェーデンのセルマ・ラーゲルレーフ。ただし今は表記が違うかも)。そしてノーベル賞をとっている(ここで紹介する『飢え』ではなく、1917年に出した『野の発展』で受賞)。

 そんなハムスンは「北欧のドストエフスキー」とも言われていたらしいのだが、この『飢え』を読むとそれも納得できる(いや、これしか読んだことがないのだが)。主人公の「僕」は大学生(元?)なのだが、金が無くて生活に困っており、身の回りのものをほとんど質屋に入れてしまった。これだけでもすぐにドストエフスキーの『罪と罰』が思い浮かぶ。ただこの「僕」はラスコーリニコフと違って、働く気はある。が、仕事探しがうまくはいかない。そして物書き志望でもあり、論文やらを新聞に寄稿して金をもらったこともある。ついでに言えば、どんなに金に困っても悪事を働くつもりはない。

 とまあそんな感じで、ついついドストエフスキーを思い浮かべてしまうのは仕方がないものの、こちらの主人公には『罪と罰』とは違って主義や思想はあまりないし、作品自体の宗教性も薄い。その代わりといってはなんだが、タイトルの『飢え』にも現れている通り、生々しいまでのリアルな身体感覚(主に飢餓感)の描写がある。『罪と罰』の主人公もかなり追い詰められていたが、こちらは(どちらかといえば)精神的ではなく肉体的に追い詰められている。なんというか、この「もうどうしようもない」「人生どうにもならない」という追い詰められ感に限って言えば、こっちの方が勝っているともいえる。なんといっても、ラスコーリニコフなら追い詰められていてもやっぱりなんだかかっこいいが(語弊あり)、こちらは徹頭徹尾情けないからだ(私は人のことはいえないが)。

 なにしろこの主人公(本名はいまいちわからない)、そんな窮状に陥って、質に入れるものもなくなり、とうとう下宿を追い出される羽目になっても、ほとんど働こうとしない。といって、もちろん盗みも殺しもしない。彼がするのは、ただ文章を書いて新聞に載せてもらい、原稿料を得ることだけ。しかし勿論、書いたからといって必ず載せてもらえるわけでもない。

 まあこう書くと、主人公が殆ど望みのない無駄なことをしているように思えるだろうが、実はそうでもない。『罪と罰』のラスコーリニコフも例の論文を新聞に載せてもらっていたし、この時代にはまだ持ち込みの原稿を新聞社に載せてもらえる時代だったのだ(実際、主人公は以前に原稿料を手に入れている)。そして作中でも、いよいよ宿無しになって万事窮す、という絶妙のタイミングで原稿料を得ることに成功している。しかもその原稿は新聞社の主筆に「傑作である」とまで言われる。この瞬間はいわゆるひとつの胸アツ的展開である。

 しかし。これで軌道に乗ったかと思うと、そうではない。主人公はあっさり金を使いきり、また困窮する。新聞に載った原稿で人気作家になれたということもなく、新たに書いた原稿はことごとく没になる。仕事は見つからない。運命の相手かと思えた女性も、彼に金のないことを知るとあっさり去ってしまう。下宿先の人間からは軽蔑され厄介者扱いされる(これは宿賃を払っていないのでしかたないが)。にっちもさっちも行かなくなり、主人公は神を呪う。

 やー……正直、私がこの小説にこれほど引き込まれたのは、要するにこの主人公が他人に思えなくなってしまったからだと思う。物書き志望で、だけど認められず、まともに働こうとしない。あげくの果てに世間を恨み、去って行った女を憎み、神を呪う。……いやー……参った。まるで自分を見ているよう(いわゆるオマ俺というやつである)。

 しかし、この主人公と私には重大な違いもある。この主人公は、とにかくずっと書いているのだ。金が無くて腹が減り(この主人公はとにかく食べるもののことばかり考えている)、拾った鉋屑をしゃぶって飢えをしのぎながらも、とにかく書こうとする。まあ書けないときは一行も書けないわけだが、それでもとにかく書こうとする。新聞の主筆(主人公の才能を認めてくれており、金を貸してくれる)に何度ボツにされようとも、とにかく書く。そんな主人公にひきかえ、私は今ではのうのうと実家に戻り、「働け」と言われないのをいいことにタダ飯を喰らっているくせに、何も書こうとしない。何もというか、まあ、たまにしか書かない。情けないこと限りない。

 まあそれはとにかく。

 最後の方、主人公はある一篇の戯曲を書き上げようとする。しかし彼は住んでいた宿を追い出されてしまい、落ち着いて書くことができない。それでも何とか場所を探して少しずつ書いていくが、何かと邪魔が入ってしまい、その度に掴みかけた霊感が逃げていってしまう。毒づきながら、それでも彼は書く。彼は書きながら始終呟く。「ただ書け、書け!」と。これには思わず感動を覚える。

 と、しかしそのすぐ後に、彼はその原稿が駄目なことに気が付いてしまう。彼は鉛筆を噛み折って、地団駄を踏み、原稿をずたずたに引き裂いてしまう。そして叫ぶ。「僕はもう駄目だ!」。……正直、圧倒される。

 ラスト、失意の主人公はふらふらとあてもなく町を歩き、港に出る。そして、たまたまそこにあった船の船長に頼み込み、船員として船に乗り込むことになる。「こうして僕はクリスチャニヤの街に別れを告げたのだった」……て。え、いきなり?という感じもあるが、まあこの後にいきなり大人気作家になるというラストもあんまりだし、これはこれで納得のラストなのかなと思いました。マル。