クラフトエビング商會 『らくだこぶ書房21世紀古書目録』について

                      ちくま文庫・筑摩書房

 

 今回は、今まで取り上げてきた本とはちょっと趣の違う本をとりあげてみたい。というのも、本書はそもそも小説ではない。タイトル通り、この本は古書目録なのである。……いや本当は大分違うけれど、その辺の事情は後で触れる。

 なぜこれまでとは毛色の違った本を取り上げるのかというと、ぶっちゃけてしまうと面倒臭くなってしまったからである。より正確に言うと、これまでのやり方に疲れてしまったのである。好きな本の話をしたくて始めたのはいいものの、いざ感想を書いてみると面倒臭い。好きな本なので書き始める時は乗り気なのだが、好きな本だけについつい長くなってしまい、それで結局つかれてしまう。お気に入りの本だけにあまりいい加減なことを書きたくもないし(いやまあわりと適当に書いてきたけど)。

 実際、思い入れの強い本で感想を書きたいものは幾らでもある。でも例えばダンセイニとか『セラフィタ』とか山尾悠子さんとか折口信夫の『死者の書』とかは大好きだけど何をどう書いていいやら難しいし、『サロメ』とか『オーレリア』とか『罪と罰』とか『高丘親王航海記』とかは思い入れが強すぎて逆に書きにくい。恩田陸さんの『三月は深き紅の淵を』とかシャルル・ノディエの『スマラ』とか『函の中の失楽』なんてややこしすぎてストーリーが紹介できない。

 もちろん他にも色々あるわけで、まったくもってきりがない。それで思ったのが、今まで面倒臭くなったのは言いたいことを全部書こうとしちゃったせいでもあるけれど、未読の人にも伝わるように著者の情報とかストーリーの紹介とかしていたせいではないか、と思ったわけなのです。文庫本の解説なんかには最低限の情報として書いてあるとはいうものの、あちらは出版社に依頼されたプロの文章で、こちらは好き勝手に感想を書いているだけなんだから律儀に真似する必要もないではないかと。誤字脱字なんてなんのその、文章の筋道なんかもまるで構わず、心の思うまま書き散らせばいい。それなら数もこなせる、某千夜千冊も夢ではないと(絶対ムリ)。

 てなわけで。まずは小説ではない本をネタに、気楽な感じで感想を書こうかと思います。

 

 では本題。この『らくだこぶ書房21世紀古書目録』は先述したとおり小説ではなく、言ってみればレムの『完全な真空』やボルヘスのような、架空の書物を紹介する本なのである(まあ私はまだ『完全な真空』は読んでないけれど。懐に余裕のある時はないのに、余裕がない時に限って近所のブクオフに出現したりするのだ)。つまり著者が考えた架空の書物を紹介しているのだけど、レムとは違って(たぶん)文章は控えめだが、その代わりなんとこちらには架空の筈の本の写真が載っている!内容からしても「よくこんな変なこと思いつくな」というおかしなものばかりだが、さらに本の造りも輪をかけてヘンテコなのである。『羊羹という名の闇』という羊羹そっくりの本とか、7:3の比率の二冊の分冊になっている、七三分けについて書かれた『7/3 横分けの修辞学』とか。どれもこれも実在すれば奇書の名に相応しいものばかりなので、奇書スキーの私としては垂涎の目録となっている。

 まあその辺のおかしさは実際に本をみてもらうとして、架空の本の装丁を実際に創ってしまうなんていう贅沢な芸当ができたのは、実はこの本の著者が作家かつ装丁家だからなのだ(正確には吉田浩美・吉田篤弘という二人の方で『クラフト・エヴィング商會』を名乗っているのだとか。この名義で他にも同系統の面白本を出しておられるらしい)。どうりで装丁からして凝っているし、本の内容も小説から学術論文風、趣味本風と多彩だし、なによりこの『らくだこぶ書房』という書物事態が、紙の本に対する愛情に溢れている。

 さてそんな中で私のお気に入りを紹介したいのだけど、その前に一応この本の設定について簡単に説明しておかなくてはならない。書名に「21世紀」とあるから紛らわしいのだが、この本がハードカバーで最初に出たのは2000年の12月なのである。つまりは20世紀のどん詰りなわけで(もちろん狙ったのだろう)、その時点では21世紀というのは未来の出来事だったのだ。21世紀も十年以上過ぎた今となってはややこしい話しなのだが……。

 では、なぜ20世紀に「21世紀の古書目録」を出すことができたか?それは著者であるクラフト・エヴィング商会が、京都の「らくだこぶ書房」という未来の古本屋から本を取り寄せているため。西暦2052年の古本屋が、20世紀の時点では未だ発売されていない本ばかりの古書目録を作成してクラフト・エヴィング商会に送付したという設定なのである。そうして未来から取り寄せた古本を紹介する態で出版されたのがこの『らくだこぶ書房21世紀古書目録』という本なのだ。つまりここで紹介されているのはどれも「未来の古本」というちょっと紛らわしい矛盾した存在なのであり、2014年現在の私達にとってはさらに紛らわしい設定だったりする(実際、紹介されている本の中には既に「出版されている(筈の)」本もある)。

 この説明だけでなんだか疲れた……。

 という訳で、いよいよ私の好きな「未来の本」を紹介しよう。でも(疲れたし)未読の人の興味を削がないためにもできるだけ簡潔にしておく。

 

 まずは2040年頃に発行された『SMOKING AREA』。といっても公の出版物ではなく、「秘密喫煙結社」という秘密結社の会報だという。未来では今以上に喫煙者は白眼視されており、喫煙者を取り締まる私服の「白眼官」なる連中が徘徊している。それで肩身の狭い喫煙者達はこの会報で喫煙できる穴場スポットなどの情報を交換しているらしい。なんとも暗澹たる未来予想図であるが、あながち空想と言いきれないのが怖い。

 しかしこの本は会報というわりにはクラシックな、洋書を思わせる高級感のある装丁で、革っぽい表紙に煙草の箱の絵が金文字で描かれている。しかもその箱に触れるように金属っぽい立体の手のオブジェが、また実物らしい煙草が一本コラージュされている。こんなに凝った造りなら喫煙者でなくとも本好きなら思わず欲しくなってしまうという装丁である。……追い詰められているというわりには、なんか余裕じゃないか?それに「秘密結社」なぞと名乗っている辺り、案外面白がっているのではないかとも勘繰ってしまう。それともこれは、理不尽な圧制に対する抵抗者としての、ささやかな矜持なのだろうか?

 お次は『大丸先生傑作黒板集成・第一版』。発行は2035年。これは某高等学校の国語教師で、終生〈黒板〉にこだわり続けた大丸先生を懐かしんだ生徒達がノートを持ち寄り、先生が授業で書いた黒板を復元した、というもの。本のページと字は黒板と白チョークを模したものとなっている(生徒のノートを元にしたのなら大丸先生の字を再現したわけではないのでは?というツッコミは無粋)。本来は授業が終わればすぐさま消されてしまう運命にある黒板の字を復元して保存するという発想が面白い。たしかに学校の先生の授業というものは本筋の学習から離れれば離れるほど面白く、もはや舞台芸術の域に達しているということすらあるし(言い過ぎか)、黒板もまた然りということかもしれない。なんてことを私が言うより、本文を引用した方が伝わるだろう。

 「先生がこよなく愛した、〈黒板〉という素晴らしいメディアを、私達は懐かしく思い出します。『わったくしもかつては生徒であり、いろんな先生の黒板を見てきました。そして、教員になりましてからは、こうして、いつも黒板の前に立っておるんですから、わったくしの人生の全ては黒板とともにあった、とまぁ、そういうわけでありますよなぁ』……先生は、いつも口ぐせのように、そう言っていました」

 こんな先生の授業、受けてみたかったものである。

 アンデロ・ボヤ編『その話は、もう3回きいた』(箱舟書房)。これはなんと2008年の出版なのでもう出版されている筈なのだが書店で見たことがない。造本としては普通の造りなのだけれど、面白そうなので読んでみたいのだが。内容の紹介は面倒なのでパス。

 スリーピング・シープ編『羊典』。これも2003年なので「発行済みの」本。その名の通り羊の辞典なのだけど、内容としてはそれほど奇抜でもない。これが好きなのは写真が良かったのと、個人的な趣味なので解説は省略。

 そして私が一番好きなのはもちろん、『魂の剥製に関する手稿』!である。著者も版元も不明、発行は2010年頃と書いてあるものの、そもそも手稿なので版元がある筈もなく「発行」という言葉も当らない。そう、これは誰かの手稿を印刷したものではなくて文字通りの「手稿」、手書きの文字で書かれた書物なのである。いや書物といえるのかどうか、タイトルもノンブルも奥付もなく、写真を見るに紙束を紐で括ってあるだけのように見える。『魂の剥製に関する手稿』というのも、らくだこぶ書房の店主が目録に載せるために便宜上そう名づけただけなのだ。

 店主が目録に記した来歴に依れば原本が書かれたのは19世紀の前半で、そこには剥製師の秘密結社「白手袋」が編み出した「魂を剥製にする秘儀」が記されていると言われている。言われている、というのはその文字が暗号で記されているために誰にも読めないからである。本文を記した頁を写した写真も何枚か載っているのだが、奇妙な文字に奇怪な絵も付されていて、ヴォイニッチ手稿みたいな感じと言ったらわかるだろうか?しかしこちらは渋い感じの黒褐色の紙に銀で文字が書かれ、絵も精緻な感じなので少なくとも見た目としてはこちらの方が断然かっこいい(あくまで見た目の話だが)。これはもう、ぜひとも本書を手に入れて実際に写真を見て頂きたい。

 それにしてもこの『魂の剥製に関する手稿』にもっとも象徴的なのだが、「未来の書物」と銘打っているわりにはどれもそんなに未来めいていない(前衛的と言えそうなものはたくさんあるが)。むしろどれも本としての、というか本来の「紙の書物」としての魅力に溢れた本ばかりなのだ(さらに言えば大部分が、失われゆくものを懐かしむ郷愁の思いに満ちている。黒板だの煙草だの)。先には取り上げなかった本で『月天承知之介 巻の一』というのがあって、これは「がってんしょうちのすけ」と読むのだが、これがなんと21世紀に突如として現れた「黄表紙」なのだという。

 「本書は、2040年の春ごろ、江戸時代の物売りを模したいでたちの若い衆数人によって、ほとんどゲリラ的に販売されたものである。彼らは『さあさ、黄表紙にてございまするぅ』と、妙な節をつけて歌い踊り、当初は主に新宿駅近辺を売り歩」き、これが大人気でまたたくまに売り切れてしまう。そしてすぐに出た二巻、三巻も飛ぶように売れ、半ば社会現象のようにまでなる。いくつもの出版社が契約しようとしたが彼らは頑として受け入れず、路上販売禁止の網をかい潜りながら一冊ずつていねいに手売りした。それがまた好評を博し、二年でついには65巻にまで達し、総売上はその間のあらゆるベストセラーを越える部数に達したという。出版社から出るわけでもなく書店に並ぶでもない黄表紙も(手稿ほどではないものの)前時代的な書物といえる訳だが、それが2040年の新宿で大ヒットするというのがおもしろい。

 この後がまた振るっている。「そして、人気と売り上げが頂点に達したところで、彼らは現れたときと同じように、突然すっと消えてしまったのである。思うにこの本は、当時の出版会に対するイエロー・カードのようなものだったのであろう」

 言うまでもなく、これが『らくだこぶ書房~』という書物全体の裏のメインテーマであろう(わざわざ裏の、などというのは、あくまでメインテーマは愛書家の遊び心だと思うからである)。2040年などという中途半端な未来を設定するまでもなく、今の出版業界だって既にしてイエローカードに値するのであり、つまりこの『らくだこぶ書房~』という書物自体が現代の出版業界に対する、書物への愛に満ち満ちたイエローカードに違いないのだ。まあ『月天承知之介』とは違って本書はちゃんと出版された本なわけだが、筑摩書房ならセーフだろう。だってイエローカードに値するのはいわゆる大手出版社なのだし(というのも失礼だけど)。

 というかちょっと調べてみたら、この本はそもそも筑摩書房のPR誌に連載されていたものを纏めたものらしいのだが、こう言ってはなんだけどたかがPR誌のためにここまで労力をかけて凝った作品の数々を創り上げたクラフト・エヴィング商會の本気が恐ろしい。

 しかしもっと恐ろしい事実がある。大手出版社への警鐘の意を孕んだこの本が、こともあろうに「講談社出版文化賞・ブックデザイン賞なるものを受賞してしまった」ということである(笑)。まあこんな面白い本なのだから賞をあげたくなる気持ちはわかるけど、これはもう「マ……マヌケ過ぎるぜ講談社」と言われても仕方ないのではなかろうか?いや、自戒の思いを込めてというならわかるけど……。

 なんだか結局長くなってしまった。どう考えてももっとも著者の力が入っていると思われる、『魂の剥製に関する手稿』の解説から少し引用させてもらって、この駄文を終えることとしよう。

 「丹念に写し続けられてきた奇怪な文字達を追っていると、書物とはそもそも「読む」前にまず「書く」ものであるとつくづく思い知らされます。実際その意味はわからずとも、まるでこうしてひたすら「手で」書き記すことこそが「魂」を剥製にせしめる秘術なのではないか、と勝手な誤読をしたくなってきます」

 「前世紀より跋扈し始めた魂を抜かれてしまった本たちを脅かす、これぞ完璧なる書物。ここには、箱もカバーも帯も表紙もない。一筆入魂。余計なもの一切なし」

 

 

 追記。ふと思ったが、この文章には著者の自嘲も含まれていたりするのだろうか?誰よりも装丁に拘っているわけだし、職業として装丁家をしていたら妥協させられることもあるだろうし……。

 だけど少なくとも本書の中の架空の書物に贈られた装丁は、どれも魂が入っていると思う。手書きの文字に魂が入るのはもちろんだが、装丁にだって装丁家の魂を込めることができる筈だ。そしてついでに言えば、命を削って書いた文章なら印刷でも魂は込もる。要は皆、もっと良い仕事をしろということだろう。

 ……にしてもこんなに面白い設定の本ばかり見せ付けられると、自分でも何か考えたくなってしまいますな。無理だけど。