『モンテ・クリスト伯』 アレクサンドル・デュマ著 岩波文庫全七巻

 つかれた……。

 なんて、失礼な一言から始めてしまったが、ケチをつけているわけではない。というよりむしろ、面白くて途中で止められなくなり、寝ないで読んでたせいである。そういえば、寝食忘れて読み耽るまでいくのは久しぶりな気も。……といっても、さすがに文庫で七冊もの大長編を全部一気に読めるわけもなく、怒涛の展開となる後半だけだが。

 もっとも、私が読んだのは岩波文庫版ではなく、例によって家にあった昭和二年刊の新潮社版世界文学全集。こちらだと、第15巻と16巻の二分冊。立派なハードカバーでしかも二段組なのに上巻は約640頁、下巻は約680頁の大ボリュームである(ちなみに上巻の訳者は岩波文庫と同じく山内義雄氏だが、下巻の方は大宅荘一氏となっている。読んでるときは気付かなかったけど)。

 主人公の復讐譚としてあまりにも有名で、日本では『岩窟王』というタイトルでも知られている。短くまとめた少年少女版も有名らしいが、私は読んだことがなかった。こうした機会がなければ読まなかったかもしれないので、『テス』に続き良かったと思う。

 というわけで、以下感想。ネタバレ注意でお願いします。

 

 まずは、こちらの写真を見て頂きたい。これが実家にあった、昭和二年発行の新潮社版文学全集15巻、『モンテ・クリスト伯(1)』の表紙である。この全集は表紙絵がかなり良い感じなのだが、その中でもこれは秀逸なものの一つだと思う。夜空を背景にした、全体的に暗い色調。寂しい岩場に立ち、何かを見下ろす二人の男が、松明の灯に浮かび上がっている。まさしく、『岩窟王』というタイトルに相応しい、怪しげかつとても印象的な絵ではないだろうか。

 私はこの絵を見たとき、てっきりこの二人のどちらかが主人公なのだろうと思った。なにしろ『モンテ・クリスト伯』といえば、無実の罪を被せられた男が脱獄し、自分を陥れた連中に復讐する話だというのはいまさら言うまでもない。だからこのシーンこそ、まさにその緊張感溢れる、脱獄の場面だと思ったのだ。が、違った。いや、この場面は確かに脱獄の場面なのだが、この二人のどちらも、主人公であるエドモン・ダンテスではないのだ。では、誰か?これが、実はわからない。というか、作中に名前が(たぶん)出てないのだ。

 ネタバレになるが、14年間も獄中にいた主人公の脱獄方法というのは、実は「死体のフリをして出る」というもの。死んだ仲間が袋に入れられて運び出されるのを見て、隙を見て入れ替わり、埋められた後で脱出するという目論見だった。まあその狙いは外れて、エドモンは窮地に陥るのだけれど。

 そんなわけだから、この印象的な二人はダンテスではなく、実は単なる死体処理役。エドモンはといえば、左の髯面の男が抱えている袋のようなものの中にいるのである。

 この事実を知った時は、思わずなんだそれ?と突っ込みたくなった。主人公をさしおいて名もない人物を表紙イラストにするとは、斬新というかなんと言うか……。今ではちょっと考えられないんじゃないだろうか。

 でもまあ、たしかに印象的な場面ではある。さぞかし挿絵画家の創作意欲を刺激したのだろうとついつい空想しまった。後半になって、ある人物がこの場面を繰り返し思い描いたとも言っているし。

 というか、この絵に惹かれて読みたくなったのだから、私の負けだろう。

 

 それはそれとして。 

 なんといってもこの作品の見所は、主人公エドモン・ダンテス即ち後のモンテ・クリスト伯による復讐だろう。無実の罪で陥れられ、14年もの長きに渡る苦しい生活を強いられたダンテス。それに対して、彼を陥れた連中は揃って名を挙げ、裕福になっている。そんな対比があるから、ダンテスの復讐の痛快さが際立つ。

 まあ、その辺はもうわかりきったことだから省こう。ただ気になるのは、その復讐に到るまでの過程がちょっと冗長に思えること。なにしろこっちは早く復讐の場面が見たいというのに、その前にフランツとアルベールという若者二人の話になってしまう。しかもフランツの方はなんとなく重要人物っぽく描かれているけど、アルベールは単なるおバカなボンボンという感じだし。かと思うと、今後の展開で重要なのはアルベールの方で、思わせぶりな登場をしたくせにフランツの方は大して話に関わってこない。このワンクッションは本当に必要だったのか、必要だとしてももっと短くできたんじゃ?と思ってしまう。

 でもだからこそ(と言っていいのかわからないが)、本格的に復讐劇が動き出す後半からは頁を捲る手が止まらないほど面白い。

 個人的に印象に残ったのは、脱獄した後のダンテスが、獄中での恩人のファリア法師に教えてもらった財宝を探しに行く場面。ファリア法師が教えてくれた通りモンテ・クリスト島に行くダンテスだが、決して財宝の存在を信じきっているわけではない。ダンテスは無知な自分に学問を教えてくれたファリアを尊敬しているが、この財宝の話だけは彼の妄想なのではないかと疑っている。手がかりを元に財宝を探し、どうやらファリアの言っていたことは正しかったらしいことがわかっても、ダンテスは「どうせもう他の誰かがもっていってしまっているだろう」なんて思う。

 財宝への期待が高まるたびに興奮し、その都度「いや、財宝なんてあるわけがない」と自分を落ち着かせるダンテス。なにしろ無実の罪で陥れられるなんて苦難を経験し、しかも獄中での希望も何度も何度も裏切られたせいで、自身の幸運というものに物凄く疑り深くなっているのだ。

 期待と不安が入り混じるこの気持ちが、なんだかすごくよくわかった。というか、入試とか資格試験なんかで、誰でも味わったことがあるんじゃないだろうか?「ひょっとしたら」と期待しつつ、駄目だったときのために「どうせ駄目だろう」と心の準備をしておく。でもやっぱり心のどこかで「だけどもしかしたら」と思わずにいられない、あの感じ……。殊に宝を発見する直前の緊張感は、まさに今後の人生を左右する試験の結果を見に行く、その時の緊張感そのものだと思う。ちなみに私は、何度も何度も応募した新人賞の結果発表を見る時を思い出しましたけどね★

 そんな風に不幸に慣れて、自分の幸運に慎重(臆病)になっているダンテスだからこそ、財宝を発見した時の感激は並外れたものだったに違いない。それは単なる金銭的な富を手に入れたというだけのことではなく、彼の人生観を一変させるほどの出来事だったろう。モンテ・クリスト伯になった後の彼は「神に代わって悪人に復讐する」という信念を抱いているが、そんな風に神を信じるようになったのはきっとこの瞬間だったのだろう。それまでの彼はむしろ、神の公平さを疑っていた筈だから。

 まあ何が言いたいかっていうと、少なくともこの瞬間だけは、ダンテス羨ましいってこと。いや、もちろん彼はこの上なく不幸な人間の一人だとは思うけれど、それでも彼には報われる瞬間があったわけで。散々な目に遭って、しかも全然報われることもなく死んでしまう人間だって、世の中にはいくらでもいるわけですから。

 個人的に一番気に食わなかったのは、ダンテスを陥れた内の一人、銀行家のダングラール……ではなく、その娘のユージェニー。こいつは芸術家気取りで働いたこともなく、父親の稼ぎで食わせてもらっているくせに、父親を守銭奴扱いしている。しかもそれでいて、父親の財産の一部は当然自分のものだ、とかしれっと言ってしまう。最後は音楽で食っていく決意をして家を飛び出すのだが、それだって「家から持ち出した金で生活して、その内に自分で稼げるようになるだろう」という甘い考え。なのになんだか格好よさげに描かれている。なんか間違ってると思う。……まあこれは多分、同族嫌悪的な不快感なんだろうけど。

 とまあそんなこんなで(?)面白い『モンテ・クリスト伯』なのだが、どうも一部ではいわゆる「文学」としては見做されていないらしい。こんなに面白いのに……と思うのだが、どうもその「面白い」ということが災いしているようだ。要するに、「単なる娯楽小説じゃないか」ということらしい。たしかに、「それ必要か?」っていう挿話もちらちら見られるし、ご都合主義的展開も結構あるし、話を盛り上げるような仕掛けは満載だったりする。

 でも、だからといってこの作品を娯楽小説としてだけ読むのは間違っている。なぜなら、主人公であるダンテスは決して、単なる復讐鬼ではないからだ。彼は自分の仇を恨み残酷な復讐を心に誓いながらも、迷いや揺らぎを捨てきれない。自分の最愛の恋人であるメルセデスを奪ったフェルナンに復讐するために息子のアルベールを殺そうとするけれど、メルセデスに懇願された彼は、逆にアルベールに殺される決意をする。検事のヴィルフォール一家に復讐するときは少しやりすぎてしまい、「自分にここまでする権利があるのか」と苦悩もする。読んでいる側としてもこの時だけは復讐の快感はなく後味の悪さが残るが、復讐が売りの単なる娯楽小説ならこんな書き方はしないだろう。

 実際、この後彼は悩む。ダンテスは彼の一連の復讐を単に自身の恨みを晴らすためだけでなく、それが神の意図だと信じて行っていた。この地上における不公平――悪人が富み栄え、かつてのダンテスのような善人が理不尽に虐げられるような間違った世界――を正すために、自分に力が与えられたのだと信じていた。だが、本当にそれは正しかったのか?と。

 地上における正義と、神の司る正義。この世における不公平と、人間の無力さ。神の意図はどこにあるのか?人間を襲う不幸は、神の試練なのか。それともただの偶然なのか?

 神の意図は人間にはわからない。そんな世界で、どうすれば一人の無力な人間が、幸福を掴むことができるのか?

 この小説にはそんな本質的な問題が含まれていて、私たちに問いかけてくる。そして、この問題についてダンテスが出す結論については『待て、しかして希望せよ!』という短い言葉に表れている。その結論は個人的には受け入れられないものだけれど、それでもやっぱり一つの、深遠な解答なのだ。

 だから、いくらエンタメ要素が満載でも、寝るのが惜しいくらい滅法面白くても、この小説はやっぱり文学作品なのである。

 

 ……いいかげん眠いせいで、まとまりのない文になってしまった。ところで、ダンテスが苦しむモレルやマクシミリヤンを助ける時、気の毒になるくらい焦らしてからやっと救いの手を差し伸べるのは、やっぱり自分自身が長く苦しんだ後にやっと救われたから……なんですかね。